こんにちは、ハクです。
河北新報朝刊で読みました。メモです。
社 説
仙台市教委と半旗掲揚
「場当たり」の理由 説明を
27日に行われる安倍晋三元首相の国葬に当たり、仙台市は市教委に半旗掲揚を依頼せず、市教委も各市立学校に要請していない。7月にあった家族葬では「遺漏のない」半旗掲揚を求める通知を市から教委、教委から学校へと流したが、国葬では方針を一転させた。
家族葬では学校に求めた半旗掲揚を、政府を挙げて実施する国葬で求めないことにしたのは、善しあしは別として筋が通らない。市と市教委は場当たり的な対応の理由を明確に説明する責任がある。
半旗掲揚など弔意を示す行為に関し、郡和子市長や福田洋之教育長は記者会見や市議会への答弁で「政治的行為ではない」と言い続けている。ならば国葬時に学校のみ対象外とする必要はないはずだ。
文部科学省から弔意表明の依頼がないことや、他の自治体と足並びをそろえることが理由なのかもしれない。仮にそうだとしても、安倍氏の死去当日、政府に先駆けて市が家族葬への対応方針を決めたことの説明がつかない。
市と市教委の一連の対応は、筋道を重視する行政機関の判断や行為として理解に苦しむ。安倍氏の死去直後、早期に弔意を示さざるを得ない特別な理由や事情があったと邪推されても仕方あるまい。
家族葬で市教委が学校に半旗掲揚を依頼した滋賀県甲賀市長は今月1日の記者会見で「ガバナンスの欠如は市長の責任」と謝罪した。岡山県倉敷市の教育長は同12日の市議会への答弁で、市教委が学校に「(半旗掲揚への)ご協力をお願いします」とメールした点を「表現で誤解を招いた」と反省の弁を述べた。両市の例を踏まえると、仙台市と市教委の対応に一点の曇りもないと考えるのは困難だ。
こうした状況を、市長が市民の中から選んで任命した6人の教育委員がどう考えているかは、これまで全く伝わってこない。市の教育行政の在り方を考えた場合、深刻な状況と言わざるを得ない。
安倍氏の死去後これまで、教育委員を集めて開かれた4回の市教委会合gで半旗掲揚を巡る問題は一度も議題にならず、委員から質問も発言もない。河北新報社は今月、各委員に見解を尋ねたアンケートを実施したが、6人とも回答を拒んだ。
首相としての安倍氏の評価や国葬への賛否は国民の間で分かれ、冷静に議論しづらい雰囲気も漂う。何を言っても批判されるため教育委員が口をつぐんでいるとすれば、心情は理解しても市民代表の職責を果たしているとは言えない。嵐が通り過ぎるのを待つような姿勢は改めるべきだ。
教育委員が自由に意見を述べやすい環境づくりには市民の協力も要る。先月下旬の市教委会合では、一部の傍聴者から議事進行の妨げになるような言動があった。こうした行為は委員をさらに萎縮させかねず、厳に慎んでほしい。