§::万華鏡∞日記::§

「定期記事」で①きょうの運勢②首相日録③きょうの言葉④DMMFX要人発言が主です。その他「映画」「音楽」「書籍」の紹介文や、雑記もあります。

【書籍】話題の本をピックアップ!ぜひ、ご紹介します!?/2022.10.31。。(´・ω・`)


こんにちは、ハクです。


試しに、日曜日にあります、書籍紹介の新聞2版があります。
あまりにも多いのですが書籍を「評」する紹介文がありまして、よく読んでみています。
参考には良いと思い、出してみました。

このように記入すると時間がかかり、6冊しかできませんでした。すみません。
どうぞ、ぽちっと「折りたたみメニュー」をお願いたします。


 ◇


①【著者とひととき】
『ウンコの教室』…「下」を向け未来考えう
    湯澤 規子さん


★★★★[ 紹介文はこちら ]★★

  生きることは食べること、そして「出す」こと―。湯澤規子さんの新著は、最も身近でありながら忌避されがちな存在について「話してもいいんだと感じてもらいたい」との思いで書かれた。狙い通り、一読すれば誰かと「ウンコ」を語りたくなること請け合いだ。

  かつては自身も「清癖が過ぎるほど」だった。祖父の死をきっかけに「不浄」を極度に恐れ、手を繰り返し洗わずにいられなくなり、何度も白黒つけないと気が済まない傾向が高校まで続いた。「息苦しかったですね」

  大学では、清濁入り交じる世界を知ろうと、あえて未知の土地を訪れるように。無人島の即席トイレで満天の星を眺めながら「出した」ものを「大きな自然の確かな一部」だと実感した。以来、「食」や排せつ」を地理学や歴史学、フィールドワークから捉え、「生きる」を問い直す研究を続けてきた。

  日本の水洗トイレでは一瞬で消えゆくウンコだが「そこから広がるテーマは極めて多彩で現代的です」。新著では国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」が「安全な水とトイレ」の確保に触れていると指摘。ケニアの複雑なトイレ事情や、排せつ物を農業に活用する日本など各国の動きを紹介した。激甚化する災害や高齢社会の介護の現場でも、健康と尊厳に関わる重大な課題といえる。

  切実でデリケートなこれらの問題と向き合うには、専門家ではない人々を巻き込んだ議論が必要だと言う。子ども向けの講演会には手作り人形「ウン美ちゃん」を持参。新著を「教室」と題したのも、中高生の心理的ハードルを下げ、手に取りやすくするためだ。「笑いを取るためにウンコの話をしている場合じゃない!」。ほほえみつつも真剣に訴える。

  江戸時代に「下肥」が都市の食を支えたように、日本人はウンコと豊かな関係を結んできた。近代化に伴い「汚くて価値のないもの」として遠ざけられたが、ウンコを考えることは生きること、未来を考えることでもある。「下を向いて歩こう」と湯澤さん。「下」はもちろん「しも」と読む。

(「ウンコの教室」はちくまプリマ―新書・924円)


②【読 書】
『この世の果ての殺人』…極限状況で現れるもの
荒木あかね(あらき・あかね) 著
1998年福岡県生まれ。九州大文学部卒。2022年、
本作で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。


★★★★[ 紹介文はこちら ]★★

 評・温水ゆかり(ライター)


  昨年に続いてまたもや女性が射止めた今年の江戸川乱歩賞。しかも今回の著者は史上最年少、23歳での受賞という超新星だ。

  導入の見事さは新人とは思えない。自動車教習所の教習中、イサガワ先生(以下先生と略)が23歳のハルに話し掛ける。「ご飯ちゃんと食べてる?」「みんな逃げてないの?」「お父さんは?」。運転に集中したいのにと思いつつ、ハルは答える。実家がコンビニだったので食料には不自由してません、母はとっくに逃げました、父は一昨日自殺しました。雑談なのに、このシリアスは何!?

  近未来SFとミステリーの融合である。この筋では「特殊設定」と言うのだとか。こんな設定だ。2023年3月7日に小惑星が熊本の阿蘇郡に衝突する。運命のその日まであと2カ月ちょっと。

  不安と恐怖から自死する人、衝突地点から少しでも遠ざかろうと日本を脱出する人。特にここ九州にはほとんど人が残っておらず、街はゴーストタウンと化している。

  そんな中、終末へのカウントダウンを淡々と過ごしている先生とハルは、教習所の車のトランクに遺棄された惨殺体を発見する。先生は実は元刑事。成り行きでハルは捜査の助手を務めることになる。

  事が福岡の糸島や博多にまたがる連続殺人事件に発展する中、テンポのいいシーンをされた女性弁護士、飛び込みの検視依頼を引き受けた胆力ある女性医師、警察庁の若さキャリア官僚、逃亡中の兄弟、ハルの引きこもりの弟、福岡残留村なる運命共同体を運営する元女性政治家、孤児の少女といった面々だ。

  著者がこの作に込めたのは、極限状況でむき出しになる苛烈な正義感、利他的な献身や犠牲などから生まれる連帯や友情だったのではないか。

  この世の終わりをどこで誰と迎えるか。「サヨナラだけが人生だ」という井伏鱒二による漢詩の名訳を思い出すラストのシスターフッドには、切なくも心に染み入る温かさがある。

(講談社・1815円)


③【読 書】
『ぼくらの戦争なんだぜ』…「正しい」見方への疑問
  高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)
1951年広島県生まれ。作家。「優雅で感傷的な日本野球」で三島由紀夫賞、「さよならクリストファー・ロビン」で谷崎潤一郎賞


★★★★[ 紹介文はこちら ]★★


 評・平山 周吉(雑文家)


  かつて「戦争を知らない子供たち」という反戦フォークソングがあった。本書は、いやま古希を超えた「全共闘世代」を代表する作家の高橋源一郎が、「戦争を全然知らない子供たち」に向けて贈る、「戦争」を知るための新しい戦争文学アンソロジーの試みといえる。「八月ジャーナリズム」という形で定型定番となった「戦争」への「正しい」見方に対する本能的な疑いが、根っこにはありそうだ。

  その疑いは大胆にも、「世界の戦争小説の中でも屈折の傑作」と認めてきた大岡昇平「野火」にも向けられる。何度も繰り返し読んだ末に、「野火」は「彼ら」―世界の「外」に抜け出ていった者たちの「戦争」について描かれているという違和感を持つ。「彼らの戦争」は悲しい。が、どこが人を魅了する恐ろしさがある。いま読む必要があるのはむしろ、「最後まで世界の『内』にとどまる『ぼくらの戦争』なのかもしれないのだ」。

  高橋シェフが選び直した「ぼくらの戦争」メニューは新鮮で、食欲をそそる。まず向田邦子のエッセー「ごはん」(「父の詫び状」所収)。歩行者天国の居心地の悪さから思い出す、東京大空襲の夜。生き残った翌日、家族は秘蔵の白米をたいて「最後の昼餐」をする。「向田さんにとって『戦争』は、説明するものでも、抗議すべき対象でもない。一つの家族が出会わなければならなかった風景としてのみ存在しているのだ」

  こうして、読むべき「小さな声」がチョイスされる。林芙美子の戦争協力懺悔の記録、著者が「ぼくのいちばん好きな戦争小説を書いた」と入れ込む古山高麗雄のダメ兵隊小説、植民地育ちの記憶を探る後藤明生、戦時にあっても秘密のメッセージを大胆に発し続けた太宰治

  本書は才人「インテリ源ちゃん」らしい軽さで、ぐいぐい読ませる。今までよく顔を出していた軽さを超えた軽薄さは、この本からは感じられない。

 (朝日新書・1320円)


④【読 書】
大久保利通…「知の政治家」非情さも
瀧井 一博(たきい・かずひろ)
1967年福岡県生まれ。国際日本文化研究センター教授。専門は国制史、比較法史。「伊藤博文」でサントリー学芸賞


★★★★[ 紹介文はこちら ]★★

 評・五百旗頭薫(東京大教授)


  大久保利通は、非常な権力者としてt描かれることが多い。権力者として生き残ることを優先する余り、ビジョンや定見がなかったという批判もある。

  これに対し本書は、大久保を最大限、「知の政治家」として解釈する。日本を一つの国民国家に統合するというビジョンを育み、それを強権によってではなく、敵との和解や幅広い人材登用、何よりも知識を交換し磨き合うネットワークやフォーラムの拡大で漸進的に推進しようとして政治家、という意味である。

  友人と笑いさざめき、漢籍の会読で議論をリードする闊達な青春時代が、その先の激動の人生を悼むかのように、鮮やかに浮かび上がる。明治政府の指導者になって推進した勧業政策も、トップダウンの工業化というよりも、農業を主軸にした漸進的なもので、全国各地の意欲と財力を持つ有志との出会いと協力と知識交換のネットワークだったことを強調する。

  そんな解釈はおめでたい、大久保に甘い、という批判もあろう。だが「知」を尊ぶというのは、抽象的な理念を発見して奉字ることでもあり、冷徹さを伴う。この理念のためには闘争や謀略をいとわない。攘夷派の数をたのんだ暴力や情動に対しては、たとえそこに友人が含まれていても、冷淡である。

  そして大久保の理念とは国民国家の建設であるから、闘争に勝利した瞬間に、敵を統合の対象として赦すとともに、味方の特権を制限しなければならなくなる。朝廷を徳川慶喜の支配から解放するなり、公家社会の旧態を破壊し始め、幕府を打倒した後は、鹿児島の同胞の特権を否定し始める。非情な政治家の最も非情な点にも、光を当てているともいえる。

  このように著者の知的運動神経は侮れない。厚い本だが文章は平明で、とりわけ、元来の専門である明治時代に入ると筆がさえる。出てくる人物の事績が見開きの左端に注記されているのも、ネットワークを重視する本書の趣旨にかなっており親切である。

 (新潮選書・2420円


⑤【読 書】
『サイレント・アース』…生態系を支える虫たち
デイヴ・グールソン(DAVE・GOULSON)
1965年生まれ。英サセックス大教授。昆虫、特にマルハナバチの生態研究と保護が専門。王立昆虫学会フェロー。


★★★★[ 紹介文はこちら ]★★

 評・松村由利子歌人


  みずみずしい野菜や果物が食卓から消えたら、私たちの暮らしはどうなるだろう。小鳥や小動物の愛らしい姿も見られなくなったら―。人類が今のような生活、経済システムを続ければ、遠からずそんな未来が訪れる、と著者は警告する。その原因は昆虫の減少である。

  昆虫は、鳥や両生類、爬虫類、魚類などの栄養源であり、植物の花粉を運んで受粉させる役割を担っている。もし昆虫がいなくなったら、多くの動植物がダメージを受け生存できなくなってしまう。豊かな生態系を支えているのは、小さな虫たちの存在なのだ。

  レイチェル・カーソンは60年前にいち早く、殺虫剤として使われていたDDTが環境中に残留し、食物連鎖によって鳥や人間に蓄積される危険性を指摘した。その後DDTは世界的に使用が禁止されたが、現在安全とされる農薬にも問題は多い。

  例えば、植物の内部に浸透する農薬は、少量でも昆虫の健康や繁殖力を損ねることが分かってきた。著者は、こうした農薬の多様や、単一作物を大規模に栽培する「モノカルチャー」が昆虫を激減させている実態を認識し、農業やライフスタイルの変変革に取り組むべきだと説く。

  既に、受粉を昆虫に頼っている作物の収量減や品質の悪化が起きている。また、今後の気候変動の影響も危ぶまれる。有用な昆虫が環境変化に適応できずに死滅する一方で、病原体を媒介する蚊や、作物を荒らすアブラムシなどは急激に増えると予想されるからである。

  暗い見通しに滅入りそうになるのを救うのが、各章のコラムに登場する、著者お気に入りの虫たちだ。腹部が原切れそうになるまで蜜をためるアリ、他の虫に寄生するハチ…昆虫の世界は何とも不思議に満ちている。この精妙につくられた生き物の有用性や生態を、私たちがほとんど知らないのは残念すぎる。今ならまだ彼らと共生する環境を取り戻せる、と著者は行動を呼びかける。

 (藤原多伽夫訳、NHK出版・2750円)


⑥【読 書】
東京大学ボーカロイド音楽論」講義』…現代の新たな心性表現
鮎川 ぱて(あゆかわ・ぱて)
ボカロP、音楽評論家。東京大卒業後、東京芸術大大学院修了。2011年より活動を開始。本書が初の単著。


★★★★紹介文はこちら★★

 評・柴 那典(音楽ジャーナリスト)


  初音ミクの登場から15年、いまや日本の音楽文化に欠かせないものになった音声合成技術、ボーカロイド。米津玄師などボーカロイドを用いて曲を作る「ボカロP」出身のアーティストも多く活躍している。

  そんなボーカロイドを題材とした、東京大の人気ゼミを再構成したのが本書。著者は音楽評論家で自身もボカロPとして活動する。ボーカロイドに興味のない世代の人にこそ手に取ってもらいたい一冊だ。

  内容はジェンダー論から精神分析記号論にまで及ぶ。現代思想の手法でボーカロイド作品やその作者を評論することで、ジェンダーやセクシャルティーの多様化が進む社会の潮流や、今の時代の若者文化に表現されている新しい心性に迫る。

  最も印象的なキーワードは「アンチ・セクシュアル」。年配世代には初音ミクを一種の「萌えキャラ」として捉える向きもあるが、著者はそうした性的なイメージ消費のステレオタイプを否定する。

  さらに、J-POPや歌謡曲では今も昔もラブソングが主要なテーマであるのに対して、実はボーカロイドの人気曲にそういったタイプの作品は少なく、むしろ性愛に対しての戸惑いや葛藤をつづった曲、性的マイノリティーの視点を持った曲が多いことに触れる。そうした楽曲を「アンチ・ラブソング」と位置付けて批判することで、「誰もが性によって疎外されないカルチャ^」としてのボーカロイド文化の内実を明らかにしていく。

  著者は多くの若いボカロPやリスナーと実際に交流し、性に関して「典型的ではない」という悩みを打ち明けられることもあったという。こうした体験も本書のベースになっているはずだ。

  教養、すなわちリベラルアーツとは、本来「人間を束縛から解放するための知識」という意味を持つ。ボーカロイドを通して、そういう意味の「新しい教養」に触れることができる一冊だ。

 (文芸春秋・2420円)


 ◇


今回もどれも読みたいと思います。その書籍の紹介文はなるほど、読みたくなるのはすごいものです。これもアフィリエイトのための文章力(ライター?)の参考のために読み続けます。では、失礼しました。


(´・ω・`)
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