§::万華鏡∞日記::§

「定期記事」で①きょうの運勢②首相日録③きょうの言葉④DMMFX要人発言が主です。その他「映画」「音楽」「書籍」の紹介文や、雑記もあります。

【書籍】話題の本をピックアップ!ぜひ、ご紹介します!?/2023.01.23。。(´・ω・`)


こんにちは、ハクです。


毎週日曜日、河北新報2版に「書籍紹介」があります。
試しまして、私もこちらでご紹介させて頂きます。
あまりにも多いので「評」する紹介文がある本だけと致しました。


どうぞ、ぽちっと「折りたたみメニュー」で、ご覧くださいませ。宜しくお願い致します。


 ◇


【著者とひととき】
『神々の復讐』…人と共存ゆえのドラマ
    中山 茂大さん


★★★★[ 紹介文はこちら ]★★

  「人と猛獣のヒグマが高い密度で『共存する』世界的に特殊な場所が北海道。だから事件もドラマが起きるんです」。ノンフィクション作家の中山茂大さんは新著で、明治から昭和戦前期にかけヒグマが人を殺傷した事件を発掘、検証した。
  襲撃直後の凄惨な光景、間一髪の脱出劇、猟師の死力を尽くした戦い…。臨場感にあふれる当時の新聞記者を多く引用した。数年前、たまたま本で目にした開拓時代の「人喰い熊事件」に「やじ馬的な興味」を抱いたのが執筆のきっかけだ。だが行政の詳細な被害統計は1962年以降しかない。「だったら、自分で調べるしかない」と調査を始めた。
  これまでの著作は世界各地を放浪し、人びとの暮らしをつづった旅行記や、独力で小屋を建てた体験記だったが、今回は道内の図書館にこもり、約70年分の地元紙に1日ずつ目を通す「インドアな」調査が中心となった。
  「基本は徒労に終わる」作業だったが、ロバを連れて南米大陸を横断した学生時代の旅が重なったと言う。「果てしない道のりを地道に歩き続けるのも悪くないなって」
  こうした集めたヒグマ関連の記事約2500本を基に、数百件の殺傷事件をデータベース化。特定の時期、地域に事件が考察した。
  背景に浮かんだのは、鉄道の開通、陸軍の演習の活発化、炭鉱開発、樺太の製紙業の発達に伴う森林伐採など。「開拓で生息域を脅かされたヒグマが次第に凶暴になり、人を襲うという構図が繰り返されてきたんです」
  近年は、動物保護の観点から銃による猟が禁じられたこともあり、ヒグマが急増。2021年には4人が犠牲となるなど被害が相次ぐ。「人の振る舞いや自然との向き合い方に、ヒグマが反応しているようにも見えます」
  北海道育ちだが大学進学で上京。今回の取材で、久しぶりにじっくり故郷に向き合い、魅力を再確認した。引き続き北海道の歴史に取り組むつもりだ。「忘れ去られて、今は僕しか知らない事件がいっぱいある」とにやり。「もう少し『恩返し』をしたい」
(「神々の復讐」は講談社・2420円)


【読 書】
『江戸一新』…明暦の大火にどう対処
門井 慶喜(かどい・よしのぶ)
1971年群馬県生まれ。2003年「キッドナッパーズ」でオール読物推理小説新人賞受賞。18年「銀河鉄道の父」で直木賞


★★★★紹介文はこちらです★★

 評・高橋千劔破(作家、文芸評論家)


  明暦3(1657)年1月、江戸市中の大半が燃え尽きた。後に「明暦の大火」と呼ばれる未曽有の大惨事。本書はその出来事を背景にした。
  第一の火元は、本郷丸山の本妙寺、1月18日午後2時ごろの出火。折からの強風にあおられ、本郷、湯島、駿河台へと延焼、さらに火の手は下町の神田から日本橋へと及んだ。夕方から西風に変わり、下町一帯を焼き尽くした。
  第二の出火は、19日午前11時過ぎ、小石川伝通院近くの武家屋敷が火元。これも強風に乗って、神田から新橋辺りへと延焼するが、途中、江戸城に飛び火する。
  同日午後4時ごろ、麹町での第三の出火も経て、大名屋敷160、旗本屋敷770、寺社350、町人地400町、さらに60の橋が焼き落ちた。およそ10万人が命を失ったという。
  この大火に立ち上がった時の老中(後の大老)松平伊豆守信綱が、この小説の主人公だ。切れ者で「知恵伊豆」と称された。現在の東京につながる大都市の「建て替え」に着手する彼の歩みに、浅草花川戸の俠客の祖・幡随院長兵衛や、江戸城大奥の天樹院(かつての千姫)といった面々が絡んでいく。
  江戸城は本丸や本丸御殿ばかりでなく、天守閣も焼亡。それは大老格だった保科正之の一喝で再建されなかった。現在、江戸城後に天守台はあるものの天守閣はない。そこに信綱はどう絡んでいるのか。
  明暦の大火は、江戸時代を通じて最大最悪の都市災害だった。その9年後の1666年、ロンドンでも大火があり、木造建築が多かった当時の市街地のほとんどを焼き尽くした。しかし被害規模は、江戸の方がはるかに大きいものであった。
  信綱は、それほどの大災害にどの対処したのか。また、どのように江戸を復興へとつなげたのか。その大江戸街づくりの過程がドラマチックに味わえる興味深い一冊である。

 (中央公論新社・1980円)


【読 書】
『この世の喜びよ』…出産や子育てを再定義
井戸川射子(いどがわ・いこ)
1987年兵庫県生まれ。詩人、作家。「する、されるユートピア」で中原中也賞、「ここはとても速い川」で野間文芸新人賞


★★★★紹介文はこちらです★★

 評・川野 里子(歌 人)


  詩人であり小説化でもある井戸川射子の小説集は「この世の喜びよ」「マイホーム」「キャンプ」の3編からなる。第168回芥川賞を受賞した中編「この世の喜びよ」は、実験的な文体によって掘り下げられる日常と記憶の交差が鮮烈だ。特に主語を「わたし」でなく「あなた」にした文体は、他人事(ひとごと)を自分事にする仕掛けと言えるだろう。吸い込まれるように「あなた」の経験が読者の体験になっていゆく。
  どこにでもあるようなショッピングセンターの喪服売り場で働く「あなた」。そこで出会う15歳の少女は幼い弟の世話を押し付けられショッピングセンターに逃げ込むヤングケアラーだ。その少女との交流を通じて「あなた」の心に子育ての記憶が生々しくよみがえる。「砂場の砂にフンが入っていないか、こねくり回して確かめた、一度、カッターの刃が交ざっていた」、「娘たちのケーキや果物を割ってきたから(略)あなたはどこに指を入れ込めば真ん中で割れるかが分かった」というように。同時に少女との対話のなかで「女の体は痛みと出ていく水が多過ぎるよね」など、身体の記憶も鮮やかになってゆく。
  負の経験として子育てを背負わされてしまった少女と、思い出すことによって自らの子育てや身体に出合い直してゆく「あなた」。2人は子育てという体験を挟んで非対称的に向き合っている。だから「あなた」が結婚や出産の意味を語ろうとするとき、「それってまた何か差し引いて言っている?」と少女は問うのだ。そのさまは、今日の社会のなかで、また文学表現として出産や子育てが明確な居場所を持ってこなかったことを鮮やかに浮かび上がらせる。
  井戸川の詩人としての感性がつかむ細部は鋭く、しばしば些事と大事が逆転する。まさにそのようにすべての価値が投げ出され、ぎらぎらと無秩序に散らばるのが今日の日常だ。だからこそ、この小説はそれらを丁寧に思い出すことによって新たに位置づけ、問いとして提示している。

 (講談社・1650円)


【読 書】
『女芸人の壁』…10人の本音と葛藤記す
西澤千央(にしざわ・ちひろ)
1976年神奈川県生まれ。ライターとして雑誌などにインタビューやコラムを執筆。


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 評・西条 昇(江戸川大教授)


  テレビで女性芸人が共演者から「ブス」「オバサン」などといじられて笑いのネタになるという図式は、1980年代前半にはもう出来上がっていたように思う。そうした流れに変化が見られたのは、ほんの数年前のことだ。視聴者からの批判やネットの炎上が原因で「容姿いじり」の封印を宣言する女性芸人が相次ぎ、話題となった。
  女性芸人たちは今、何を思い、どのようにテレビと向き合っているのか。
  本書は「文春オンライン」で配信された女性芸人への連続インタビュー企画「女芸人の今」にコラムと特別対談を加えて書籍化したものである。
  お笑いに関する記事を多く手掛けてきた女性ライターの著者は、ジェンダーフェミニズムの視点を踏まえつつ、ベテランからバリバリの若手まで10人の本音と葛藤を巧みに引き出すことに成功している。
  「女性らしさ」を武器にせず、純粋なネタの面白さでの勝負にこだわるAマッソの加納愛子。アイドルや女性アナへの「キレ芸」でブレークの渦中にあった時間を「何もかも嫌だった」と振り返る青木さやか。強烈なパワハラやセクハラを経験し、90年代に下ネタと身体を張った対決企画で注目を浴びたモリマンのホルスタイン・モリ夫。当初は「ブスいじり」に傷つきながら、女性芸人として初めてテレビの世界で天下を取ったと言われた山田邦子…などなど。
  彼女たちは皆、テレビを通じて一般世間の目と対峙し、それぞれが孤独な闘いを続けてきたのだ。
  天才少女漫才師から関西のテレビ界の「女帝」と呼ばれる存在となった上沼恵美子に行ったインタビュー自体は本書に未収録ながら、「お笑い」の在り方をめぐる過去の発言の真意を尋ねた質問をきっかけに、彼女の内面へと踏み込んでいく様子をまとめたコラム「上沼恵美子論」も興味深く読めた。
  今、女性芸人の数は、かつてないほどに増え続けている。彼女たちの今後に注目していきたい。

 (文芸春秋・1650円)


【読 書】
『シベリアのビートルズ…ロシア再考する端緒に
多田 麻美(ただ・あさみ)
1973年大分県生まれ。文筆家。北京外国語大ロシア語学科留学。北京の雑誌編集部を経て、フリーランスのライター、翻訳者に。


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 評・鴻野わか菜(早稲田大教授)


  本書はロシア・シベリア東部イルクーツクを拠点に活動する画家で、著者の夫でもあるスラバ・カロッテの半生を軸に、彼の周囲に集うアーティストらの人生をつづり、ペレストロイカソ連崩壊、新生ロシアに至る社会の変化をも映し出した出色のエッセーである。
  見知らぬはずの登場人物たちが、まるで自分の友人で同じ部屋にいるかのような臨場感で描きだされる。
  西側の上方の乏しい旧ソ連下でビートルズに熱中し、警官の目をかいくぐって、敬愛するミュージシャンの肖像をストリートに描きだした自由の画家スラバ。旧ソ連軍の潜水艦で、ビートルズの「イエロー・サブマリン」を仲間と合唱したフッケル。外国文化に触れ罪で14年間を収容所で過ごしながらも飄々と軽やかに生き続けた流浪の詩人プラホージー
  彼らの人生から浮かびあがってくるのは、どんな困難な時代にも人は芸術を求め、それを生きる糧、喜びとしてきたこと、芸術は常に人間の友であり続けてきたことだ。
  著者は10代前半を米国で、2000年以降は北京で暮らし、18年にイルクーツクに移住した。同世代や年上のロシアの仲間たちとまったく違う環境で育ちながら、同じ音楽や文学に心を動かされてきたエピソードも、国境を超えて人々をつなぐ文化の力を物語っている。
  ウクライナ侵攻に対するロシア人の反応や、戦争で変わりゆく社会の様相も本書の重要な主題である。著者は最後に次のように書く。「魂のこもった音楽や芸術作品は、どんなに血なまぐさい時代でも、国境の壁を越えて、静かに人々の力をも信じること。それが、今も私がイルクーツクに拠点を置き続けるためのエネルギーになっている」
  芸術とそれに携わる人々への愛情と信頼に満ちた本書は、ロシア、文化、人間について再考するための美しく熱い奇跡のような書物である。

 (亜紀書房・1980円)


【読 書】
『太陽の子』コンゴ残留児らの叫び
三浦 英之(みうら・ひでゆき)
1974年神奈川県生まれ。朝日新聞記者。「五色の虹」で開高健ノンフィクション賞。「牙」小学館ノンフィクション大賞


★★★★紹介文はこちらです★★

 評・城戸 久枝(ノンフィクションライター)


  1960年代から80年代にかけて、アフリカ中部に位置するザイール(現コンゴ民主共和国)で日本企業の巨大鉱山開発のために多くの日本人労働者が現地で赴いた。内戦や経済の悪化により企業はあ撤退。男たちは帰国したが、現地にはコンゴ人の妻との間に生まれた子どもたちが残された。
  本書は、アフリカ赴任中に残留児の存在を知った新聞記者がある著者が、6年間、日本人の父親の姿を追い求める彼らと向き合い続けた渾身のルポルタージュだ。
  父系社会が色濃く残るこの国で、行方不明の日本人の父親を持ち、貧しい厳しい環境に育った彼らだが、日本人の名前で、日本人の子であることに誇りを持って暮らしていた。願いは父親に会いたい、それだけだ。
  海外メディアで報道された日本人医師による赤ん坊毒殺のニュースを巡る真相の追求や、「紛争鉱物」の採掘現場への潜入など、鋭い視点でこの問題の取材を続ける著者の根底にあるのは、子どもたちを父親に会わせたいという切実な思いだ。
  個人的なリスクを背負って交流サイト(SNS)で発信し、帰国時にいは当時の関係者を訪ね歩いて父親に関する情報を集め続ける著者のまなざしはどこまでも優しい。
  一方、日本側の対応は冷酷だ。個人的な問題である、家族に知られたら困る、保障や賠償―。父親側の都合ばかり並べたり、結局、彼らの父親は一度も姿を現さない。
  「白ヤギ」といじめられた残留児の姿は、歴史的背景や状況は全く違うが日本敗戦後の中国で「日本鬼子」と呼ばれた中国残留孤児とどこか重なる。思い浮かんだのは、「親に会いたいと思うのは、子どもとして当たり前のことではないですか?」という知り合いの中国残留孤児の叫びだ。
  すでに多くの父親たちは高齢だろう。だが生きてさえいれば会うことはできる。残留児たちの思いがかなう日が来ることを心から願う。
  残された時間は、もう、わずかしかない。
 (集英社・2750円)


 ◇


いかがでしょうか。今回も読みたいと思います。
その書籍の紹介文はなるほど、読みたくなるのはすごいものです。
これもアフィリエイトのための文章力(ライター?)の参考のために読み続けます。
では、失礼しました。


(´・ω・`)
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