§::万華鏡∞日記::§

「定期記事」で①きょうの運勢②首相日録③きょうの言葉④DMMFX要人発言が主です。その他「映画」「音楽」「書籍」の紹介文や、雑記もあります。

【書籍】話題の本をピックアップ!ぜひ、ご紹介します!?/2023.02.27。。(´・ω・`)


こんにちは、ハクです。


毎週日曜日、河北新報2版に「書籍紹介」があります。
試しまして、私もこちらでご紹介させて頂きます。
書籍数はあまりにも多いので「評」する紹介文がある本だけと致しました。


どうぞ、ぽちっと「折りたたみメニュー」で、ご覧くださいませ。宜しくお願い致します。


 ◇


【著者とひととき】
『家康の天下取り 関ケ原、勝敗を分けたもの』…「寛容さ」太平の世開く
加来 耕三さん


★★★★[ 紹介文はこちら ]★★

  1983年に歴史家・作家としてデビュー。今年、執筆活動40周年を迎えたのを記念し、410を数える著作の中から本書を再刊行した加来耕三さん。「放映中のNHK大河ドラマも家康ですしね」と笑うが、93年に日本海罪新聞社から始めて刊行して以来、加筆を重ね、出版社を変えて世に問い続けてきた一冊だ。本書の累計発行部数は100万部を超えている。
  サブタイトルにある、関ケ原の勝敗を分けた要因は、家康が生涯かけて培った「寛容さ」だと語る。
  例えば、徳川四天王の筆頭酒井忠次の処遇。家康より15歳年上で、三河の土着勢力として徳川(松平)家に比肩する実力者だった忠次。家康の嫡男信康の粗暴な行いについて織田信長から詰問された際、列挙された罪状をほぼそのまま認め、信康が切腹を命じられる原因を作ったとされる。
  家康は、信長を失った無念さを生涯忘れなかった。しかし、忠次を罰することはなかった。忠次は徳川家臣団の筆頭に座り続け、豊臣秀吉の大軍を迎え撃った小牧・長久手の戦いでは、鬼武蔵の異名をとる森長可の群生を打ち破る勲功を挙げている。
  本多正信も、三河一向一揆に加わって家康の命を狙った罪を許され、側近に取り立てられた。その後、家康を天下人に押し上げるべく知謀を絞ったことで知られる。
  「われ、素知らぬ体をし、能く使いしかば、みな股肱となり、勇功を顕わしたり」。企業経営者対象のセミナーなどで、加来さんはこの家康の言葉を紹介する。戦国時代を終わらせ、太平の世を開いたのは、信長や秀吉のようなカリスマではなく、恨みをのみ込むことにたけた家康だった。
  加来さんの祖父は旧海軍の軍人で、南太平洋のソロモン海で戦死した。縁者にいは空母「飛龍」の加来止男艦長もいる。それもあって、太平洋戦争への関心は強く、将来の研究課題として挙げる。
  「不況が慢性化すると、解決策として戦争が浮かび上がる。でも、戦争をこの世からなくすことは人類共通の課題です」
  「過去に学び、未来を開くのが歴史学。「答えは必ず歴史の中にある。未来は変えられます」と、温顔を輝かせる。(野)

(「家康の天下取り 関ケ原、勝敗を分けたもの」はつちや書店・1980円)


【読 書】
『俺が公園でペリカンにした話』…「サブカル」世代の心象
平山 夢明(ひらやま・ゆめあき)
1961年神奈川県生まれ。2006年「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞


★★★★紹介文はこちらです★★

 評・切通 理作(評論家)


  「小説宝石」に11年間発表してきた短編を集成。とはいっても最初と最後の作品である2011年作で、他の18編はそれから6年たった17年から22年にかけて集中的に発表されている。
  主人公の「おれ」が、ヒッチハイクでたどり着いた町で出会った者たちの奇妙な行動に立ち合い、最後はほうほうの体でそこから抜け出す…という構造は全作ほぼ共通。
  「民主主義」などお題目に過ぎず、学歴のない「おれ」を露骨にばかにしながらも、部外者の目には異様でしかないことを暗黙のルールとして信奉する人々。過剰に感傷的になったかと思えな平気で人も殺し、汚物を愛好するという矛盾をむき出しにする。
  主人公が迷い込む場所には、昭和を思わせる安食堂や酒場がひしめき合う。たまたま隣に座った見知らぬオヤジの繰り言を延々と聞いているような気にもさせられる。
  「結局、」と言うところを「結句、」と書いたり、わい雑なしゃべり言葉に文語調が混じったり。基本冗舌な文体は、日本的な舞台装置でありながら翻訳調の空気感を成り立たせる。それも相まって、SF映画で見慣れたような「近未来の混沌」感もそこはかとなく漂う。時折顔をのぞかせる超現実的な不条理はスプラッター・ホラー映画も想起させる。高度成長期に生まれ、1980年代に若者時代を過ごした現代60歳前後のいわば「サブカル」世代の日本人の心境風景として、著者と年代の近い筆者も親近感を持った。
  筆者が初めてこの作家を知ったのは、昭和の終わり頃、テレビの深夜バラエティー番組に自主映画の作り手として登場した時だった。男が車にひかれるのを、サム・ペキンパー監督の映画よろしく超スローモーションの演出で捉えたこの短編は「ペキンパーの男」と題されていた。「くだらない」と思いながらも、テレビの前で拍手喝采した。本書にもそんな、縁取られた偏愛の空間を引き伸ばして見せられるような奇妙な快感がある。

 (光文社・2640円)


【読 書】
『骨灰』…地下空間の魔性を描出
冲方 丁(うぶかた・とう)
1977年岐阜県生まれ。作家。「マルドゥック・スクランブル」で日本SF大賞、「天地明察
吉川英治文学新人賞本屋大賞受賞。


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 評・東 雅夫(文芸評論家)


  骨灰(こっぱい)―御遺体を焼くときに出る死灰の事。
  私がこの言葉を知ったのは、小沢信男さんの名著「東京骨灰紀行」(ちくま文庫)によってだった。そこには、メガロポリス東京が、歴史的に繰り返される焼尽の果てに生まれた「骨灰の町」にほかならない…というホラーめいた事実が記され肝を冷やしたものだ。
  さて、人気作家の冲方丁がこのほど刊行した本書は、ホラーめいた、どころではない、正真正銘の長編ホラー小説だ(作者がホラーに本格的に参入するのは、本書が初)。
  舞台は、大規模再開発工事が現在も進行中の、東京・渋谷の駅ビル。その複雑さ、通行経路の分かりにくさから、しばしば「迷宮(ダンジョン)」とも評される工事現場の地下深くで、不可解な事件が起きる。工事関係者らしさ正体不明の人物が、インターネットに「人骨が出た穴」などと中傷目的と思われる不穏な書き込みを行ったのだ。
  物語の主人公・松永光弘は、工事を管轄する大企業の本社IR部(投資家向け広報部)に所属する、働き盛りの社員。理解ある上司に恵まれ、家ではかわいい小学生の娘と身重の妻が待つ、銃風満帆な身の上だ。
  突然の調査を命じられた光弘が、執拗な熱気とちりに悩まされながら、都心の工事現場とは思えない地下最深部へ降りてゆくと…そこには巨大な穴が掘られた奇妙な祭祀場と、鎖につながれた謎の男の姿があった。
  事件を契機に明らかとなる、怪しい宗教組織の暗躍や、駆逐される路上生活者の悲哀。知らぬ間に、事件の中心人物となっていた光弘と家族に刻一刻と迫る、超自然の魔の手。
  骨灰が堆積する地下の穴は、新たないけにえを求めて、生き物のようにうごめく。死んだはずの父と再会した光弘は…。
  かつて米国の怪奇作家ラヴクラフトが、憑かれたように描いた地下世界の魔性を、現代日本によみがえらせた、迫真の怪異譚だ。

 (KADOKAWA・1980円)


【読 書】
『人類精神史』…学問の知的興奮伝える
山田 仁史(やまだ・ひとし)
1972年仙台市生まれ。宗教民族学者、神話学者。東北大准教授を務め、2021年死去。本書は遺稿を基にしている。


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 評・木村 敏明(東北大教授)


  「私たち人類はどこから来てどこへ向かおうとしているのだろうか?」。研究者のみならず誰しもが一度は抱いたことがあるだろうこの根源的問いに、「いかもの喰い」で食と信仰の関係に迫った宗教民族学者の山田仁史さんが挑んだスケールの大きな研究書である。
  専門とする民族学や宗教学のみならず生物学、言語学、考古学、心理学など幅広い学識を駆使しつつ、地に足の着いた、分かりやすく大胆な語り口で人類文化の謎を解き明かし、研究の知的興奮と醍醐味を伝えてくれる内容となっている。
  本書の骨格をなすのは人類の精神史を「三つの現実」の交代劇として描くというアイデアである。すなわち人間同士や自然環境との直接交渉からなる「第一次現実」から、文字を媒介とし、環境を人工的につくる「第二次現実」に移行し、さらに近年になってデジタル情報をベースとした「第三次現実」が発展しつつあると著者はみるのである。
  そして移住/定住、口承/書承、狩猟/農耕/牧畜といった人類精神史の転換点が、そのアイデアとの関係で分析されることになる。しかも本書の終盤に至るとその分析枠組みは「第一次現実」を軽視する現代社会の風潮、特に新型コロナウイルス禍中の「第三次現実」への傾斜に対する批判への展開していく。このような現代性もまた本書の魅力の一つだる。
  本書を読んでいくと要所要所に山田さんの実体験が書かれていることに気づく。カモシカと見つめ合い、留学先で「わっ」と声をあげそうになる山田さんの心と体の動き。一見、学術書には不要そうにも思われるこれらの描写はしかし、学術的問いや議論を「第一次現実」から乖離させない山田さんの工夫だったのかもしれない。
  「人格知」としての学術研究とは何かという点でも考えさせられる一冊である。ぜひ一人でも多くの方に手に取っていただきたい。

 (筑摩選書・1980円)


【読 書】
『学校するからだ』…批評的で教師的な視線
矢野 利裕(やの・としひろ)
1983年東京都生まれ。2014年「自分ならざる者を精一杯に生きる 町田康論」で群像新人文学賞評論部門の優秀作を受賞。


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 評・磯部 涼(ライター)


  「毎日が日曜日だったらいいのになぁ」。朝、子供がだるそうにつぶやきながら登校していった。その気持ち、分かるよ…という言葉をのみ込んで、送り出す。
  本書の冒頭に置かれた「学校はどんな場所として記憶されているだろうか」という問いを読んでまず浮かんだのは、「窮屈な場所だった」という答えだった。だからこそ私はライターとして、学校からはじき出された、世間では不良と呼ばれるような若者たちばかりを取材してきたのかもしれないとも。
  「人が学校について語るときは、すごく甘美な思い出として語られるか過度に批判的な論調で語られるかのどちらかになることが多い」。前述の問いに、著者の矢野利裕は続ける。
  矢野は文芸・音楽評論家として活動する一方で、私立の中高一貫校に国語教師として勤務する。本書はそんな彼が学校という空間について、両者の視点から描いた評論/ノンフィクション作品だ。
  いや、正確にはその視点は絡み合っており、話題も青春物語から社会問題まで多岐にわたる。しかし中でも印象に残るのは、そのような大きなテーマに埋もれがちな、タイトルにも挙がっている学校における「からだ」(身体性)についての繊細な描写だ。
  ある時、家のが授業で某映画監督の名前を出し、「知っている人?」と言った際、それほど社交的ではない生徒だけが胸の前でひっそりと手をあげる。矢野はそのしぐらに「知っていることは示したい、しかし、周囲には見られたくない」という複雑な欲望を見てとる。
  確かに学校は無数の「からだ」がひしめきあう、窮屈な空間であるだろう。彼女のわずかなしぐさは、その中で何とも居場所を獲得しようとする闘いでもあった。そこで必要なのはそれを認める批評的な、あるいは真に教師的な、解像度の高い視線なのだ。
  今日、子供が帰ってきたら学校についてじっくり話してみようと思う。

 (晶文社・1980円)


【読 書】
『現代の奴隷』…実態を報告 解決策示す
モニーク・ヴィラ(MONIQUE・VILLA)
トムソン・ロイター財団アドバイザー。2011年「企業倫理において世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。


★★★★紹介文はこちらです★★

 評・舟越 美夏(ジャーナリスト)


  2022年にカタールで開かれたサッカーワールドカップ(W杯)は「現代奴隷」に光が当たった大会だった。スタジアムなどのインフラ建設で6500人以上の出稼ぎ労働者が死亡したと英紙が報じ、「現代奴隷制の上に開かれた大会」と人権団体が批判。メッセージ入りの"抗議のユニホーム"を着用する欧州諸国の代表チームも相次いだ。
  国際労働機関(ILO)によると、現代奴隷とは、脅迫、暴力などの乱用で搾取状態を逃れられない人々のこと。21年には、5年前より約930万人多い約5千万人が強制労働・結婚で奴隷状態にある。武力紛争や気候変動、新型コロナウイルス禍で経済的、社会的に不利な立場の人々が増え、彼らを狙う人身取引産業がグローバルに成長している。
  本書は、現代奴隷の実態を伝えるだけでなく、解決に向けて私たちができることを解説した「ハウツー」本でもある。
  本書の軸である奴隷生活を脱出した「サバイバー」3人の物語は圧巻だ。うち一人は東京で売春を強要された南米女性だ。「仕事がある」と近づく加害者の巧みなだましの手法。非人道的な労働。奴隷にされたトラウマに苦しみながら、他の被害者のために戦うサバイバーたち。奴隷労働は、どの国の、あらゆる業種のサプライチェーン(供給網)にも存在し、私たちの生活は彼らの苦しみに支えられていることを知って慄然とした。同情だけでなく具体的行動を、との彼らの言葉が重い。
  希望はある。異分野の人々が連携することで、この闇産業を「撲滅できる」と著者は言う。官民連携、金の流れを監視する銀行など、取り組みは始まっている。
  著者は元記者で、大手情報企業トムソン・ロイターの財団CEOとして奴隷問題に取り組んだ。「知識を得ることで行動が生まれる」が信条。安価な服や携帯電話を買うときにちょっと考えたい。自分は奴隷制に加担していないか、と。

 (山岡万里子訳、英治出版・2640円)


 ◇


いかがでしょうか。今回も読みたいと思います。
その書籍の紹介文はなるほど、読みたくなるのはすごいものです。
これもアフィリエイトのための文章力(ライター?)の参考のために読み続けます。
では、失礼しました。


(´・ω・`)
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