こんにちは、ハクです。
毎週日曜日、河北新報2版に「書籍紹介」があります。
試しまして、こちらよりご紹介させて戴きます。
書籍数はあまりにも多いので「評」する紹介文がある本だけと致しました。
どうぞ、ぽちっと「折りたたみメニュー」で、ご覧くださいませ。
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大当たり!( ´,_ゝ`)プッ
宜しくお願い致します。
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【著者とひととき】
①『達者でお暮らしよ』…自作の俳句で半生点描
中島誠之助さん
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「80代になってやっと片肘張らずに書けたね」。人気バラエティー「開運!なんでも鑑定団」でおなじみの古美術鑑定家の中島誠之助さんはひょうひょうと語る。
新著では、中学時代から始めたという自作の俳句から約250句を選び、エッセーを添えて半生を点描した。「思い出じゃないんだ。すべての経験が私を作っているから、みんな『今』なんだよ」
「港出て十日陸見ず天の川」。1歳で両親を亡くし、遠縁の養子に。戦後、古美術商を営む伯父の元に身を寄せるも、同業者に奉公に出されるのがいやで、大学は水産学科に進学。卒業後は半年間マグロ船に乗ったこともある。「苦労は多かったけれどいろんな経験しているから、天ぷらの衣のようにゆとりをまとっているんだ」
「絶食を告げて友死す夏の果」。友の死を詠んだ句も少なくない。この友人が好きだった曲を今も聞き返す。「『どんな気持ちだったんだろう』って考えるんだ。それが生き残った者の務めじゃないか」
生涯関わることになった古美術も、そんなふうに人の思いが引き継がれてきたものだ。「『鑑定団』をやってきて一番良かったのは、捨てられる寸前のものをいくつも救えたこと。親から子へと文化の伝承ができづらい時だからね」としみじみ。
お気に入りは本書収録の中で最後にできた「薬師寺の塔の上ゆく花吹雪」。何度直しても納得できずにいたが、自宅そばの公園で、風で花が散るのを見て思いついた。「ひとりでたまに思い出してにんまりしているよ」
「行く春や皆戦争を知らぬ人」。全編を貫く軽やかな筆致とからりとした明るさの背後には戦争の記録がある。突然兵士に取られ返らなかった近所の商店主、空襲に遭った親戚の炭まみれの遺骨。伯父は紙くず同然となあった戦時国債を燃やした。「平和でなきゃいけないってことはこの本でも一貫して通したつもりなんだ」
やれることは今やらなきゃだめだと強調した。「明日何が起こるか分からない。でも今も大事にすればちゃんと明日は来るんだよ」
(「達者でお暮らしよ」は祥伝社・1980円)
【読 書】
②『文豪、社長になる』…傑物で俗人 等身大の姿
門井 慶喜(かどい・よしのぶ) 著
1971年群馬県生まれ。2003年「キッドナッパーズ」でオール読物推理小説新人賞。18年「銀河鉄道の父」で直木賞を受賞。
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評・川口 則弘(文学賞研究科)
百年前は対象の半ば、多くの雑誌が生まれました。月刊誌「文芸春秋」もその一つです。作ったのは時の人気作家、菊池寛。この人は人間としても面白く、仕事でも私生活でもいろいろな逸話を残しましたが、なかでも「文芸春秋」を率いた事業家としての側面を、本作では巧みに小説に仕立てています。
章は五つに分かれます。初めの二つは、菊池が慕った友人の話です。まず登場するのは、菊池の名を寛(ひろし)と呼びつづけた男、芥川龍之介。菊池とは一高の同級生ですが、抜群の才能の持ち主で、文壇でいち早く認められます。菊池も一目置く存在です。
もう一人の友人は直木三十五。芥川とは別の意味での異才です。彼の書くゴシップ記事は、品はないけれど世の読者の喝采を浴び、「文芸春秋」の売り上げを大きく引き上げました。芥川と直木。二人と菊池の交流が語られるうちに、友のことを思いやる慈愛に満ちた菊池の姿がじわじわ浮かび上がってきます。
明朗で親しみやすい人物造形は、作家・門井慶喜の真骨頂です。そこにいるのは流行作家、会社の社長というより、つまらぬことですぐ悩み、不機嫌さが露骨に態度に出てしまう不完全な人間です。そして人間は、生きていれば必ずつまずきます。私たちと同じように。
「文芸春秋」は幾度も存続の危機に見舞われます。信頼していた広告部長に裏切られる。戦局が激しくなって言論の自由が奪われる。さらには戦後、紙不足が訪れる。菊池が戦争協力に加担したのも「つまずき」と言えるでしょう。そこに至る心情も、作者の手にかかると一抹のせつなさが漂います。
ある面では傑物です。しかし一方、単なる俗人にすぎません。とらえるのが難しいこの人物を、糾弾にも称賛にも偏らず、ひたすら等身大に描く。本作の底には、いつも読者と同じ目線の高さを保った菊池寛の姿勢が、確かに流れています。
(文芸春秋・1980円)
【読 書】
③『完全なる白銀』…友の真実追いデナリへ
岩井 圭也(いわい・けいや) 著
1987年大阪府生まれ。作家。2018年に「永遠についての証明」で野生時代フロンティア文学賞。著書に「水よ踊れ」など。
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評・吉田 大助(ライター)
「なぜ山に登るのか?そこに山があるからだ」というのは、登山家の精神としてしばしば引き合いに出される言葉だ。しかし、岩井圭也はオリジナルな動機を創出することで、異色の山岳ミステリーを完成させた。
2023年1月、普段は東京で暮らすフリーカメラマンの藤谷緑里は、米アラスカで友人のシーラと合流し、標高6190㍍の北米最高峰デナリに登頂する準備を進める。実は、シーラの幼なじみで緑里の親友であるリタ・ウルラクは、7年前に冬季デナリ単独登頂を果たした初の女性だった―が、無線で登頂の報告をした直後に行方不明となった。すると、リタへの疑惑がメディアで巻き起こる。今回もこれまでも、山頂に到達したと言い張っていただけなのではないか?緑里が冬季デナリに挑戦する動機は、親友が山頂で見たと無線で言い残した「完全なる白銀」を撮影し、彼女の単独登頂を証明することになった。
強風と荒天、氷点下50度からなる険しい山を女性2人がじりじりと登っていく現在パートの合間に、緑里が初めてアラスカに渡った20歳の夏から数年置きに時を刻む、過去パートが挿入されていく。そこで語られるのは、男社会である写真の世界で戦う緑里の人生の軌跡であり、登山家として頭角を現していくリタの動機の変遷だ。
リタの故郷である北極海に面した小さな島サウニケは、地球温暖化の影響で海に沈む可能性があった。登山家として有名になり情報を発信することで、故郷の危機に注目が集まると考えたのだ。しかし、途中から有名になることそのものが目的になってはいなかったか?だとしたら…という疑心を緑里に(読者に)抱かせることで、サスペンスを結末部まで持続させることに成功している。
山頂に挑む最後のアタックの描写、ラストシーンの幽玄なビジョンは圧巻だった。その過程で現れる、人生の真理にまつわる言葉も。人はなぜ小説を読むのか?その答えが、本書の中にある。
(小学館・1980円)
【読 書】
④『法の近代』…論議の成果 知性で濃縮
嘉戸 一将(かど・かずまさ) 著
1970年大阪府生まれ。龍谷大教授。専門は法思想史。著書に「西田幾多郎と国家への問い」「北一輝」など。
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評・西谷 修(哲学者)
森の王オオカミが、水を飲みに来ただけの子羊に難癖をつけて結局食べてしまう、という詩人ラ・フォンテーヌの寓話がある。王がどんな理屈を付けようと、権力と暴力が実は変わらないと暴露した話だ。
本書の著者は、この寓話を、極めて人間的かつ近代的な世界を描いたものだと指摘する。理屈に基づく手続きが力の支配を正当化しているからだ。そして、近代的だと評するのは、中世までの権力が神の裁きを軸にしていたのに対し、近代の権力は「自由」な立法権を核にしているからだ。
本書はその「法の正統性」を巡る歴史を追い、主権者とは誰かなどなどを論じていく。近代世界には、支配者なき秩序という理想と、それが統治者による庇護をもとめるという現実との「パラドクス」が埋め込まれていることを明らかにしていく。
日本は明治時代以来、キリスト教的伝統に立つ西洋近代の法と国家の諸制度を移植し、その上に近代国家を作ってきた。しかし制度は、その中に人びとが生きる基本環境である以上、この地での正統性を調達しない限りうまく機能しない。日本は天皇を活用することでその正統性を作り出したが、それはこの国での「近代のパラドクス」の表れを特有のものにした。法や政治に関する離村が西洋製のものであるかぎり、日本の問題はうまく捉えられない。
現代の法状況とそれを取り巻く政治のありようを、世界と日本とを透視しながら問い直したのがこの本である。人は制度を吞み込むことで人となり、社会の中で生きる。それが人を獣性から引き離す。そのような観点から法と信仰、そして権力と政治を考え直したのはフランスのピエール・ルジャンドルだが、その碩学の着想を生かした。
新書とはいえ、近代の法、政治論議の遺構を発掘し、その成果を生きた知のるつぼで煮詰めたような力作で、これから法学や政治を志す分かり人たちにはぜひ基本文献として読んでほしいと思う。
(岩波新書・1034円)
【読 書】
⑤『絵本のなかの動物はなぜ一列に歩いているのか』…奥深い森の新しい地図
矢野智司、佐々木美砂(やの・さとじ、ささき・みさ) 著
[矢野]京都大名誉教授。著書に「動物絵本をめぐる冒険」など。[佐々木]絵本研究者。図書館司書を経て現在に至る。
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評・広松由希子(絵本評論家)
絵本とは何か。紙をとじた物体で、絵と文がひとつになったもの。子どもが最初に出会う文学であり美術…。
本書は、既成の物語論、美術論、教育論の視点からではなく、ページをめくることで非連続の場面を楽しむ絵本の特質を踏まえ、「空間構成のプロセス」という視点から総合的に捉えた新しい絵本論だ。
幅広い選書や生き生きとした解説の端々からは、著者が絵本をこよなく愛し、絵本の力を信じていることが感じられる。
戦後の日本の絵本を牽引した児童文学者・瀬田貞二の古典「幼い子の文学」より「行きて帰りし物語」というなじみ深い言葉を引くところから始まり、「均衡回復の絵本」という重要な基本型を導き出す。
絵本と遊びの深い結びつきを指摘し、大きく「積み木型」(「ぞうくんのさんぽ」など)と「入れ子型」(「てぶくろ」など)の絵本に分類し解説していく。次々現れどんどん増えていく喜びとリズム、それが臨界点に達した瞬間のカタストロフィーが読者にもたらすカタルシスについて、教育人間学の視点からも裏付ける解説は説得力がある。
近代絵本の祖といわれる英国のR・コールデコットから、「いないいないばあ」をはじめとする日本のロングセラーや2020年代の新刊まで、豊富な例で切り口の新鮮な絵本紹介としても楽しめるだろう。
あらすじや絵画表現、メッセージや教育的意義からはたどり着けない、「おお!」「ああ!」といった、言葉を超えた絵本の恍惚が「溶解体験」と命名され、共有できることに興奮させられた。
絵本の細部の解釈については異論を挟む余地もあると思うが、今は「絵本の森」の新しい地図と羅針盤を入手できたことを喜びたい。興味深い表題を入り口に分け入るほどに、フォントと描き文字、擬人法と逆擬人法、人間かと脱人間かなど、宝のヒントがちりばめられた奥深い森を実感する。
(勁草書房・3080円)
【読 書】
⑥『半導体戦争』…最重要戦略製品の歴史
クリス・ミラー(CHRIS・MILLER) 著
1987年米国イリノイ州生まれ、経済史家。タフツ大フレッチャー法律外交大学院国際歴史学准教授。
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評・牧本 次生(日本半導体歴史館館長)
21世紀における最重要戦略物質と位置付けられる半導体は国の盛衰を左右するほどの力を秘めている。本書は半導体の黎明期、1940年代から今日に至る世界各国の攻防の歴史を克明に記した大作である。著者は歴史家であり、その筆致は戦記物の趣が感じられる。
半導体産業の初期、米国と日本では市場基盤が異なっており、競合関係はなかった。しかし、70年代以降、データの一時的な保持に使われるDRAM分野の覇権を巡って半導体戦争へと突入する。その結果、日本は厳しい制裁を受け、これが日本の弱体化につながった。
一方、米国は日本の対抗馬として韓国企業を支援したといい、日米戦争は日本対米韓連合の戦だったことが明かされる。米企業幹部の一人は「わが敵の敵は友だ」と述べたとあるが、あまり知られていない逸話である。
90年代以降、設計や製造に専念する企業「ファブレス」「ファウンドリ」の興隆によって半導体の水平分業化が進み、サプライチェーンは複雑化する。この中核にあるのが台湾積体電路製造(TSMC)であり、先端ロジック製品の大半を押さえているため「台湾有事」の目玉となっている。
一方、経済大国に成長した中国の半導体は大幅に後れを取ったが、その主たる要因が毛沢東の「半導体嫌い」にあったという。ある科学者は地方に追放され、ヘビの丸焼きを食べて飢えをしのいだとの逸話に驚く。
習近平の時代になると半導体は重要戦略製品との位置付けで多額の資金が投入されるが、米トランプ政権はこれを警戒して個別企業に制裁を加え、バイデン政権を網羅的な形で制裁を強化する。中国は今のところ目に見える反撃を行っていないが、「台湾有事」につながる可能性は否定できない。本書ではいくつかのパターンに言及しており、学ぶことが多い。
本書のテーマは日本にとっても重大な関心事であり、多くの分野の方に一読をお勧めしたい。
(千葉敏生訳、ダイヤモンド社・2970円)
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※「読み楽しむ」のでしたら、こうすると安く、お薦めです!
どうぞ、詳細をご覧ください。
いかがでしょうか。今回も読みたいと思います。
その書籍の紹介文はなるほど、読みたくなるのはすごいものです。
これもアフィリエイトのための文章力(ライター?)の参考のために読み続けます。
では、失礼しました。
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