こんにちは、ハクです。
毎週日曜日、河北新報2版に「書籍紹介」があります。
試しまして、こちらよりご紹介させて戴きます。
書籍数はあまりにも多いので「評」する紹介文がある本だけと致しました。
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大当たり!( ´,_ゝ`)プッ
宜しくお願い致します。
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【著者とひととき】
①『イタリア暮らし』…無名の人々の営み描く
内田 洋子さん
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取材当日の羽織り物は海のように深い青。イタリアに40年以上暮らしてきたエッセイストの内田洋子さんに好きな色なのかと尋ねると、にっと笑った。「ミラノのサッカーチーム、インテル・ミラノのカラーです。日本代表も青ですね」。相手によって、会話の糸口になる小物を使い分けているらしい。
「ジーノの家」など味わい深いエッセーの数々で知られる名文家だが、根幹は細やかな手配りで情報源に食い込むジャーナリストだ。イタリア各地のニュースを日本に届ける通信社業を長年営み、パパラッチともハードな交渉をこなしてきた。
「情報の価値は自分で確かめるしかない。『まずは行ってみる』が信条でした」。ミラノやベネチア、漁村や船上にも住み、情報収集と取材の日々。その傍らでこぼれ落ちるネタや、ふとした時に思い出す情景をエッセーに書き留めてきた。
本書は2016~22年に新聞などに掲載された文章を厳選してまとめた。タイトルとは裏腹に、この間、新型コロナウイルス禍などで日本に長く足止めされた。現場に行けない分、オンラインでつながる現地の友人の声や「大切さが一層分かった」という日常の記憶が、執筆を支えた。
ベストなど疫病を乗り越えてきた歴史、お年寄りの買い物代行をしたり、古典を読み返したりする若者…。持ち前の「読者が隣で見ていると感じられるような」筆致で、つらい状況でも品格と希望を失わない無名の人々の営みをすくり取った。
コロナ禍は「立ち止まり、自分の立場を考えいる機会になった」。移動制限されたイタリアの若者たちの声を発信した「デカメロン2020」(方丈社)の刊行などは、自分だからこそできることを模索した結果だ。
「ベネチアの船乗りから幼児園児まで」、"特派員"から手紙やメールがひっきりなしに届く。日本からも桜の動画を送った。「離れているからこそ、言葉にならない声をキャッチしようと、より必死になっています」。この先も「私にしか書けないニュースと物語」を紡いでいく。
(「イタリア暮らし」は集英社インターナショナル・1980円)
【読 書】
②『魔女と過ごした七日間』…監視社会の闇を照らす
東野 圭吾(ひがしの・けいご) 著
1958年大阪市生まれ。85年「放課後」で江戸川乱歩賞を受賞し作家デビュー。2006年「容疑者Xの献身」で直木賞。
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評・長沢 唯史(椙山女学園大教授)
東野圭吾の100冊目となる作品は、「ラプラスの魔女」シリーズの最新作。物理学上の仮説である「ラプラスの魔」のように、物理現象を読み解き未来を正確に予測する「魔女」円華を主人公に、SFとミステリーの要素を併せ持った連作である。だが本書は、円華とその特殊な能力を重要な要素とはしながらも、独立した作品として読めるようにもなっている。
今作の主人公は中学生の陸真。元警察官の父を何者かに殺された天涯孤独となった彼の前に円華が現れ、彼女や友人らと共に父の死の謎を追う。その先に見えてくるのが、最新のIT技術を利用した監視社会の闇だ。
国家による個人の管理と監視は、オーウェルの「1984年」以来繰り返し書かれてきたテーマだ。本書はそこに、DNAという究極の個人情報の管理と、監視カメラの情報を基に個人を瞬時に特定できる人工知能(AI)システムという世界を付け加える。作中ではその結果として、犯罪検挙率を格段に向上させることに成功している。だが権力は、このシステムを本当にただ細工運用しているのだろうか。そうした疑惑が、陸真の父の死の謎へもつながっていく。
現実にも、いわゆる"ビッグデータ"とAIシステムにより、私たちの個人情報は相当程度把握されている(ネット上の個人向け広告はその良い例だ)。本書が描くのはその先に到来する、権力による個人の監視と徹底した管理だ。作中のギャンブルやカジノを巡る議論も、やや唐突な感はあるものの、国民を管理しようとする権力への不信と問題提起である。問題は人間の側にあるのだ。
今や映像や文章を生成するAIすら登場している。そう考えると本書は、「こんなに面白い作品が創れるか」とAIに突き付けた挑戦状のようにも思えてくる。だが人間がAIに管理されるではなく、AIを使いこなし、うまく付き合っていくことはできないか。次に東野に期待したいのはそうした未来図だ。
(KADOKAWA・1980円)
【読 書】
③『うみみたい』…誕生を巡る繊細な問い
水沢 なお(みずさわ・なお) 著
1995年静岡県生まれ、詩人。詩集「美しいからだよ」で中原中也賞。本作が初の小説集となる。
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評・海猫沢めろん(作 家)
わずか5文字のタイトルの中にテーマとなる言葉が詰まっている。
「うみ」「みたい」「みみ」「みた」「いう」「いみ」「うみたい」
そして「いたみ」。
本書には、出生と反出生、存在と反存在を巡る4編が収められている。表題作「うみみたい」は、同じ家で暮らす2人の元美大生の物語だ。
卵生生物の生殖をケアする「孵化コーポ」でアルバイトするうみは、同級生だったみみのアトリエを借りたことをきっかけに同居をはじめる。「ずっとここにいたいんだけど」、と言ううみに「人間を愛さないことだけ誓って」という条件を提示するみみ。
「ひとがひとをうむってことが、人間のすることのなかで一番、悲しいことだと思う」と告げながらも、なぜ自分がそう思うのか分からないみみ。2人の感情を写し取ったような繊細な文章は、どこをとっても血が通っている。
この世界で生きる人々の多くは、人の誕生が良いものと信じて疑わない。
あらかじめ、社会的にそういうことになっているからだ。
しかし生まれたことを憎み、心から死を願う人がいることもまた事実である。
加えて、そのはざまで、理由もなく「なんとなくそれが嫌だ」と言う人もいる。
こくした違和感を「反出生主義」や(性的欲求や恋愛感情を抱かない)「アセクシャル」といった常とう句に還元するのではなく、その言葉以前までさかのぼって自分の問題として解体していく筆致と、生活のリアリティーが合わさることで、観念的ながらも現実的なバランスが成立している。
読み終えたときに残ったイメージは、みみが「わたし、ミュウツーだから」と語る。自身の出生を厭うポケモンのつもりとした肌の色だった。
無機質でありながら有機的なそれは、本作の文章のように滑らかで、ひんやりとしていながら、かすかな体温を感じさせる。
(河出書房新社・1760円)
【読 書】
④『中国の民衆と生きたアメリカ人』…知られざる偉人の伝記
山口 守(やまぐち・まもる) 著
1953年、長野県生まれ。日本大文理学部特任教授、日本台湾学会名誉理事長。著書に「巴金(はきん)とアナキズム」など。
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評・春名 徹(ノンフィクション作家)
アイダ・プルーイット(1888~1995年)は中国の山東省で宣教師夫婦の娘として生まれ、子守の影響で民衆生活を自然に身に付けた。後に米国で教育を受けたため、二つの文化を共に受容する特別の位置に身を置くこととなった。
米国で大学教育を受けて中国へ戻ってからも、両親のように宣教師の道は選ばず、米国系の大学である北京協和医学院で、中国人患者の相談の受け付ける組織を設け、それが中国におけるソーシャルワークの草分けとなった。
彼女は耳から覚えた子守譲りの山東あまりで話すことができたので、患者たちから信頼された。日中戦争が始まっても北京に踏みとどまり、極秘で解放区へ薬品を届ける仲介をするなど、あえて危険を冒した。
日中戦争の当時は、中国工業合作社運動の組織者の一人となった。この運動は、壊滅的な工業の破壊を受けた中国で、協同組合的な組織をつくって小規模工業を建設していくという独創的な試みである。米国のジャーナリストのエドガー・スノー、その妻で作家のヘレン・フォスター・スロー(筆名ニム・ウェルズ)、ニュージーランド出身で工業監督官として中国へ来たルウィ・アレーらが発起人である。
さらには米国滞在中の中国人作家、老舎と直接向かい合って小説「四世同堂」を英訳するなど、広い分野で米国と中国を仲立ちする重大な役割を果たした。
また無名の中国女性の聞き書き伝記「漢の娘」「北京の思いで」のような著作もある。これは北京協和医学院での活動中に出会った女性たちとの経験が生かされていて、中国の庶民に対するアイダの共感が生んだ好著である。
西欧による中国へのキリスト教伝道から筆を起こした本書。未刊の自伝原稿やや書簡なども広く渉猟し、両親の元でのアイダの人格形成、それに続く活動の詳細を追う。光を当てられることの少なかった偉大な先達の伝記の発表を喜びたい。
(岩波書店・4400円)
【読 書】
⑤『日本の自然をいただきます』…地域の食文化を再発見
ウィニフレッド・バード(WINIFRED・BIRD) 著
新聞記者、翻訳者、ライター。2005年に来日し、英語教師やジャーナリストとして活躍。現在は米国で生活。
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評・中島 悦子(詩 人)
タイトルにある通り、本書は、日本の山海の天然素材を探る旅。グルメ本とは、少し違う。おなじみの山菜・きのこ取りは、自然の恵みを少しおすそ分けしてもらい、味わう楽しさがある。
このような自然の食物の採取が、日本の文化と調理にどのような影響を与え、自然との関係を維持してきたか。大切なことは何かを考えるきっかけを与えてくれる。著者のバードは、米国人。本書は最初アメリカで発行されたが、反響を受けて、逆輸入で翻訳された。
フキの葉、トチノミ、ワラビ、タケノコ、ワカメなど。日本人にとって地域差はあれ、当たり前の素材だが、それらが実に新鮮に見えてくる。
トチノミは、古代から食糧難に救世主のように食されたし、主食としていた地域もあった。灰汁を抜く手間のかかる作業ののち、トチ餅なども作れた。能登半島では、海藻が200種類以上もあり、30種類を食しているという。
海女の仕事や海藻の養殖などにも深く取材が試みられている。
時には、万葉集などの古典をも引用する手の込みようには目に見はらされる。まさに日本食再発見の連続なのである。
紹介されている福井県のフキの葉包みのおにぎりは、茹でたフキの葉にすりごま、ごま油、海塩で味を付けたご飯を包み込む。これは、地元の金明姫さんの少し韓国風レシピ。同県出身の私が知っているのは、蓮の葉包みのおにぎり。ご飯にきなこをまぶして蓮の葉に包み、陽の当たるところに置いておくというもの。農作業の合間に食べるということだ。陶芸村の祭りで売っていたのを食べたことがある。蓮の葉の苦みや匂いがご飯に移り、実に素朴だけれど、心を動かされた。初めて知った郷土の味だった。
自然を食すれば、その食物や文化を大切にしたいと思える。読者各世代が、それぞれの生活の中にある食物とつながるだろう。巻末に「野草・海藻ガイド」もあり、豊かな余韻に満ちる一冊。
(上杉隼人訳、亜紀書房・2200円)
【読 書】
⑥『母は死ねない』…命の地平を見つめる旅
河合 香織(かわい・かおり) 著
1974年生まれ。ノンフィクション作家。「ウスケボーイズ」で小学館ノンフィクション大賞。他の著書に「選べなかった命」
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評・安田 浩一(ノンフィクションライター)
それでも「母」は生きる。
わが子を殺された。彼女は、娘が斃れた場所を訪ねて、床に染み付いた血を拭いた。「娘の血痕ひとつも愛おしかった」。大阪の校内児童殺傷事件の遺族である彼女は、いま、同じような悲しみを背負った人々に寄り添う活動を続けている。
生きることを断念した「母」がいる。難病に苦しむわが子を手にかけようとした。苦しむだけの生ならば、楽にしてあげたいと思った。自分は生きていこうと決めたけれど、結局、彼女は自らが終わることを選んだ。
「母」とは、葛藤の中で揺れ動く存在だ。輪郭のはっきりしない至情と倦怠の境界線を、おぼつかない足取りで進む。
17編に及ぶ「母の物語」である。わが子の失踪、ママ友のの負担、中絶。さまざまな事例の中で、苦悶する「母」の姿を著者は追う。
全編を通して浮かび上がってくるのは、取材相手である「母」と共振する著者の姿だ。37歳で出産した直後、感染症で生死をさまよった。生まれたばかりのわが子を思いながら、著者の心に浮かんだのは「母は死ねない」という言葉だった。
その少し前に、殺人事件の被害者遺族である「母」と出会った。彼女もまた、自ら事件現場に出向き、血だまりを雑巾でふき取った経験を持つ。その姿を想像してショックを受ける著者に向けて「母」は言う。「死にたいほどつらいと思っても、死ぬことなんてできません。母は死ねません」
いったい「母」とはh何なのか。死にひんした病室の中から、「母」を探る旅が始まったのだ。
著者の視線は柔らかくて温かい。さまざまな不条理に振り回される「母」たちの言葉に耳を傾け、静かにそれを受け止める。そして、「母」の姿に正解などないのだと、自由な地平にたどり着く。
本書に男性の姿は希薄だ。それは自由を奪い、抑圧を強いる社会構造に加担する男性に向けての静かな抗議にも思えるのだった。
(筑摩書房・1650円)
◇
※「読み楽しむ」のでしたら、こうすると安く、お薦めです!
どうぞ、詳細をご覧ください。
いかがでしょうか。今回も読みたいと思います。
その書籍の紹介文はなるほど、読みたくなるのはすごいものです。
これもアフィリエイトのための文章力(ライター?)の参考のために読み続けます。
では、失礼しました。
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