§::万華鏡∞日記::§

「定期記事」で①きょうの運勢②首相日録③きょうの言葉④DMMFX要人発言が主です。その他「映画」「音楽」「書籍」の紹介文や、雑記もあります。

【書籍】話題の本をピックアップ!ぜひ、ご紹介します!?/2023.01.30。。(´・ω・`)


こんにちは、ハクです。


毎週日曜日、河北新報2版に「書籍紹介」があります。
試しまして、私もこちらでご紹介させて頂きます。
あまりにも多いので「評」する紹介文がある本だけと致しました。


どうぞ、ぽちっと「折りたたみメニュー」で、ご覧くださいませ。宜しくお願い致します。


 ◇


【著者とひととき】
『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』…自分から変わる重要性
    斎藤 幸平さん


★★★★[ 紹介文はこちら ]★★


  「学者は世間知らず」。このような批判を真剣に受け止め、これほど行動できる学者は、そう多くはないだろう。経済思想家・斎藤幸平さんの新著は、貧困や差別など多様な問題の現場を、自らの足で巡った記録である。
  「著書が売れ、テレビに出ている今の私には、非常に権威的なイメージがある。でも、上から目線の研究者になりたくない」と強調する。「私には、まだ知らないことがたくさんある。その学びの過程をシェアすることで、新しい社会をつくるためのヒントもシェアできたらいいと考えました」
  本のタイトルにある「ウーバー」は、都市部で広ある食事宅配サービス「ウーバーイーツ」を指す。注文した客の元に飲食物を届ける配達員を体験して感じたのは、資本主義社会の効率的な「進化」ではなく、「ロボットにやらせるとコストが高過ぎる作業を人間が埋めているような虚無感」だったと書く。
  阪神大震災の被災者らが住む神戸市の団地群は、すぐそばに巨大な石炭火力発電所が建てられた。ここでは「一部の人々へと負担をしわ寄せすることによって、問題は『私たち』から見えなくなっている」ことを学んだ。
  「私はこれまで、社会の問題を学ばなくても生活してこられた。これがまさにマジョリティー(多数派)の特権性だと思う」と話す。「知らなくてすみなせんでした。で終わるのではなく、少しでも引き受けたい。社会を変える責任はマジョリティーの側にもあるのですから」
  本書に登場する人々は、不思議と互いに共鳴している。仙台市で開催された気候変動に関する抗議デモに参加した高校生と、熊本県水俣病語り部をしている男性がともに口にしたのが、社会や他人よりも先に、自分が変わる重要性だった。
  「取材を通して、今までの自分の限界を自覚できた」と斎藤さん。「これで終わりじゃなくて、現場に行くことを今後のライフワークにしたい。それが結果的に、私の研究を豊かにしてくれると思います」と力を込めた。

(「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」はKADOKAWA・1650円)


【読 書】
『ジャクソンひとり』…差別的認識を鋭く撃つ
安堂 ホセ(あんどう・ほせ)
1994年東京都生まれ。2022年「ジャクソンひとり」で文芸賞を受け、作家デビュー。


★★★★紹介文はこちらです★★

 評・陣野 俊史(文芸評論家)


  「アフリカのどこか」と日本の、両方の血を受け継いだジャクソンは、あるスポーツブレンドのスタッフ専用のジムで整体師をしている。ある日、送られてきたTシャツを着て出社すると、背中に印刷されていたQRコードが波紋を呼ぶ。スマホで読み取ると、裸ではりつけにされ苦悶する男のポルノ動画に誘導される。その男がジャクソンとうり二つなのだった。
  ジャクソンは自分ではないと否定するが、信じてもらえない。ジャクソンが調査を開始すると、動画の男に似た3人の人間に遭遇する。容貌が似た4人は次第に一つのグループのような親密さを手に入れる。そして、Tシャツを送りつけてきた連中と対決するのだが…。
  文芸賞を受賞したこの小説は、新人らしからぬたくらみに満ちている。まず、ジャクソンというブラックミックスの人間に対して、人がいかに偏見に満ちた接し方をしているかを暴く。ジャクソンではないのに、ジャクソンにいくらか似ているだけで、ジャクソンだと思い込む。著者はそれを逆手にとって、複数のジャクソンもどきを作り出すのだ。ジャクソンはひとりの人間なのに、その人種的属性だけを取り出す集団として理解しようとする過ちを、鋭く撃つ。
  だがそのような差別的認識を問うだけならば、小説として書く必要はない。この小説が素晴らしいのは、それがきちんと作品化されているところだろう。一例を挙げる。ジェリンがエックス(2人はジャクソンに似た仲間)を夕暮れ時の講演で待っている場面。「『エックス?』/『そうだよ』/『誰かわからなかった』/『そうそう俺たちが見えなくなる時間だからね』エックスは笑った。日が沈んだ空は青く、青さが皮膚にも染めこんでくるみたいに、冷たい色に変わりつつあった。」
  人種や皮膚の色や性的指向は、繊細な筆で小説のなかに静かに表現されている。読者は、自らの認識のベールを何枚もはがされながら、小説を読み終えることになる。

 (河出書房新社・1540円)


【読 書】
『グレイス・イヤー』…絶望と戦う少女の物語
キム・リゲット(KIM・LIGGETT)
1970年米国生まれ。作家。40代で小説を書き始め、長編5作目の本作が20カ国以上で翻訳され、世界的ベストセラーに。


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 評・河野真太郎(専修大教授)


  ジュール・ヴェルヌ1888年の小説「十五少年漂流記」は、少年たちが遭難してサバイバルし、成長する「イニシエーション(通過儀礼)物語」であった。では、現代に書かれる少女たちのイニシエーション物語はどのようなものになるだろうか。それが「グレイス・イヤー」である。
  ただし、巻頭句にマーガレット・アトウッドの「侍女の物語」とウィリアム・ゴールディングの「蠅の王」が引用されていることから察せられるように、このヤングアダルト小説はヴェルヌの冒険小説からはかけ離れたものだ。
  作中の少女たちは16歳になあると「魔力」を帯びると考えられ、隔離とサバイバルの1年「グレイス・イヤー」(直訳すれば「恩寵の年」だが、そこには強烈なアイロニーがある)を過ごす。そこで魔力を清め去り、その後は自分が選んだわけではない夫と結婚するか重労働に従事することが強制される。「密猟者」に生きたまま解体される過酷な試練とも戦わなければならない。
  これは、現代の女性嫌悪的で家父長制的な現実社会を随所に彷彿とさせるディストピア小説だ。この壮絶な小説を前には、既存の少年の成長物語が独善的に見えるのはもちろん、多くの少女のイニシエーション物語も、もはや無邪気には読めなくなるだろう。
  ただし、本書はディストピア小説であると同時にフェミニズム小説でもある。作中の社会は、一世代の努力ではほとんど変わるようには思えない点で、私たちの現実社会に似ている。だが、絶望だけに染められているわけではない。少女たちの連帯と、世代を超えたゆっくりとした、しかし確実な社会の変化への信念が、そして社会を出し抜いて変えてやろうという粘り強さが、その底には流れている。
  映画化も決まっているこの小説が、少女たちだけでなく少年たちにもどのように読まれるのか、どのような種子をまくのか、楽しみである。

 (堀江里美訳、早川書房・2200円)


【読 書】
『東京あたふた族』…新鮮で不安な日々記す
益田 ミリ(ますだ・みり)
1969年大阪府生まれ。イラストレーター。著書に「しあわせしりとり」「今日の人生」「すーちゃん」「マリコ、うまくいくよ」など。


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 評・中前 結花(エッセイスト、ライター)


  「はじめて1人暮らしをしたのは、どんな部屋でしたか?」
  そう尋ねられたなら、どんな寡黙な人でもちょっとばかし「お喋り」になってしまうのではないだろうか。「あれは京王線沿いでね」だとか「6畳だったのに広く感じまして」「洗面台がやけに低かったのよ」なんて、あれもこれもと話したくなるに違いない。そうして話すうち、部屋の隅々の記憶と一緒に、暮らし始めた「あのとき」の気持ちが、じんわりと胸によみがえってくるのではないだろうか。
  本書の前半はまさに、そんな誰もが抱えて生きる「あのとき」のお話。何もかもが新鮮で何もかもが不安な日々のあれこれを、1コマずつ漫画でも描くよう丁寧につづりながら、こちらの記憶まで呼び起こしてくれる。まるで「わたしは、こんなふうに過ごしましたよ。あなたは?」とやさしく問いかけられているようだ。静かに読んでいるつもりでも、なんだか胸の中がつい「お喋り」になってしまう。
  ところが読み進めるうち、今度は不思議なことが起こった。著者の「わたし」と読者である「わたし」の境界がずいぶん曖昧になって、気づけばどのエピソードも、「なんだか懐かしいなあ」と感じられるのだ。上京したばかりの著者ははじめて信用してくれた不動産屋のご夫婦のこと、働き者の電気屋のお兄さん、離れて暮らすようになったお母さんのこと。どの思い出たちも「忘れたくないなあ」と、いつしかわたし自身の心に刻みたくなっているのである。
  その他、コロナ禍で過ごす日々や遠い昔に好きだった人のことなど、やはり記憶にしおりを挟みたくなるようなエピソードが多数収録されている。短編エッセー集ながら長編小説のような味わいもあり、読み終わる頃には主人公(著者)、そしてなぜだかわかし自身のことまでもが、いじらしく愛おしくて仕方がなくなっているのだった。

 (ミシマ社・1760円)


【読 書】
女子サッカー140年史』…差別・妨害超え自由獲得
スザンヌ・ラック(SUZANNE・WRACK)
英ガーディアン紙、オブザーバー紙などで「女子サッカー特派員」の肩書で活動するスポーツジャーナリスト。


★★★★紹介文はこちらです★★

 評・星野 智幸(作 家)


  今年の夏は、女子サッカーのワールドカップ(W杯)が開かれる。昨年の男子W杯が情熱的だったので、楽しみにしている人も多いだろう。そのワクワクを倍増させてくれるのが本書だ。
  女子サッカーの魅力は、なんといってもあの熱さ。それは熱狂とは違う熱さで、なかなか説明が難しく、20年以上女子サッカーファンである私もいまだにうまく伝えられない。それが本書では、きわめて明解にわかりやすく書かれている。
  一言でいえばあの熱は、女性たちが男性と同じように普通にサッカーをするためには、140年にわたり、とてつもない差別と妨害ははねのけてこなければならなかったことから生まれたもの。
  19世紀後半に、イギリスで女性がサッカー^を始めて以来、はしたない、女を売りにした悪趣味、医学的に女性の体に悪いといった非難の大合唱となった。しかし、選手たちは本気であり、試合の人気は急上昇していく。20世紀初頭には頂点を迎え、例えば男子でいうレアル・マドリード(スペイン)みたいな、スター軍団も現れた。本書のカバー写真のクラブだ。
  女子サッカーの威力に恐れをなしたイングランドのサッカー協会は、1921年、女性に対しグラウンドの使用を禁止する。世界各国がそれに続く。男子サッカーの縄張りを守るために、女子サッカーを排除したのだ。この禁止令は半世紀も解除されなかった!
  けれど、女性たちはあの手この手でサッカーを続けた。そうして再び、サッカーをする自由は誰にでもあることを認めさせたのである。
  逆風がいまだに吹き続けていることは、現代を生きる女性やマイノリティーなら誰でも感じているだろう。それに屈しない、めげなさこそが、女子サッカーのプレーの持続する熱さの源である。女子サッカーは存在すること自体が闘いであり、存在すればするほど、女性だけでなく誰もが自由になる。ぜひ本書と、できればスタジアムで、その熱を体感してほしい。

 (実川元子訳、白水社・3190円)


【読 書】
『古代の刀剣』…研究が凝縮 篤実な一冊
小池 伸彦(こいけ・のぶひこ)
1956年岐阜県生まれ。奈良文化財研究所客員研究員。専門は考古学。主な論文に「飛鳥の工房二態」など。


★★★★紹介文はこちらです★★

 評・大泉 実成(ノンフィクション作家)


  刀を愛する「刀剣女子」という言葉が現れてからもう何年になるかな、などと思いながら本書を手に取る。人を殺すためにつくられたものでありながら、しかし、日本刀は美しい。諸外国の刀剣と比べてもその独特の美しさは格別なものであろう。それは、いつどのようにして生まれたのか。
  日本刀の特徴は反っているところにある。これを湾刀化と呼ぶが、著者は縄文時代後期にさかのぼって、緻密な分析を積み上げてその原因を探求していく。そして、日本刀としての刀身構造が成立するのは12世紀半ばのことであるとする。
  宮崎駿監督のアニメ映画「もののけ姫」にも登場する「たたら製鉄」という技法がある。ここから、日本刀に特有の原材料である「玉鋼(たまはがね)」が生産され、この技法は現在も行われている。
  「折れず」「曲がらず」「よく斬れる」日本刀の構造について、「中心部の比較的軟質な『芯鉄(しんがね)』と周囲の硬い『皮鉄(かわがね)』の組合せにより、靭性(粘り強さ)と切れ味とが両立していると説明されることが多い。そこでは、良質な原材鋼のひとつとして玉鋼が重視されている」という。著者は反りの源流を探って、古墳時代たたら製鉄から、鎌倉、室町時代における各地域での玉鋼の製造法を丹念に振り返る。
  また、これら原材料とともに、刀工たちの製作技術を解明してくためさまざまな努力をしている。出土遺物の考古学的観察を行うだけでなく、科学的分析調査を行ったり、現代の伝統工芸の場に継承されている製作技術から学んだりした。
  「私の場合は刀匠の製作現場を見せて頂いたり、農鍛冶職人の方々の仕事場でお話を伺うなどして実に多くのことを学んだ」
  全体的に見れば、日本刀に関する著者の研究が凝縮された篤実な一冊だと思う。4月にテレビアニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編が始まるが、この本を読んでおくとちょっと面白くなるかもしれない。

 (吉川弘文館歴史文化ライブラリー・1980円)


 ◇


いかがでしょうか。今回も読みたいと思います。
その書籍の紹介文はなるほど、読みたくなるのはすごいものです。
これもアフィリエイトのための文章力(ライター?)の参考のために読み続けます。
では、失礼しました。


(´・ω・`)
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