【書籍】話題の本をピックアップ!ぜひ、ご紹介します!?/2023.07.24。。(´・ω・`)
こんにちは、ハクです。
毎週日曜日、河北新報2版に「書籍紹介」があります。
試しまして、こちらよりご紹介させて戴きます。
書籍数はあまりにも多いので「評」する紹介文がある本だけと致しました。
どうぞ、ぽちっと「折りたたみメニュー」で、ご覧くださいませ。
例)折りたたみメニューはこちらです
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
★★★★[ 紹介文はこちら ]★★
大当たり!( ´,_ゝ`)プッ
宜しくお願い致します。
◇
【著者とひととき】
①『アニメと漫画と楽しい仲間』…ワクワク 創作の原動力
鈴木 伸一さん
★★★★[ 紹介文はこちら ]★★
「今も『ラーメン大好き小池さん』と言われるのはうれしい。僕の似顔絵から親友が描いたキャラクターですから」。人気漫画家らが青春時代に共に暮らしたアパート「トキワ荘」の元住人でアニメーション作家の鈴木伸一さん。藤子不二雄作品のラーメン好きなキャラ「小池さん」のモデルとしても知られる。
現在89歳。初の自伝を刊行し、生い立ちや「小池さん」の由来、トキワ荘の仲間と設立したアニメ制作会社「スタジオゼロ」の思い出などを振り返った。「トキワ荘の話は我孫子氏(藤子不二雄Ⓐ氏)の漫画『まんが道』で有名ですが、この本も僕の集大成。創作の一番の原動力は、ワクワクする楽しさなんだと伝えられたら」とはにかむ。
小学生の頃、終戦を旧満州(中国東北部)で迎えた。空から降る高射砲の弾の破片、げたに当たった流れ弾。「語り部が減る今、残さないと」と記憶を本書に込めた。長崎へ引き揚げた後、母が結核で死去。長男として家事や看病を担い、少年時代は苦労したという。
一方で、1950年に見たディズニー映画「白雪姫」に心を奪われ、創作の道へ「7人の小人の豊かな表情や動きに感激し、『漫画映画(アニメ)』ってどう作るの?』と憧れた」。55年に上京しトキワ荘に入居した。
本書では、藤子不二雄の2人や赤塚不二夫氏ら、「家族のような存在」という今は亡きトキワ荘の仲間たちへの思いをつづる。「我孫子氏とは亡くなる5日前にも中華料理店で食事をした。寂しいけれど、いつだって皆の声が聞こえる気がする」
トキワ荘を出た56年からアニメ業界へ。手作りで作成に挑んだ実体験を記録した本書は、国産アニメ史の貴重な資料でもある。恩師の手塚治虫氏や河相外の著名作家との交流も、多彩な写真やイラストを交えて伝えている。
アニメ制作の技術は進歩を続けるが「リアルに近づけるより、やはり昔ながらの『動きの誇張』にこそ面白さを感じる」と語る。未来の作り手たちに「未開拓のアニメらしい表現はまだまだあるはず。貪欲に発明してほしい」と期待を寄せた。
(「アニメと漫画と楽しい仲間」は玄光社・2640円)
【読 書】
②『「ねじまき鳥クロニクル」を読み解く」』…読書で知る無自覚の悪
佐藤 優(さとう・まさる) 著
1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。著書に「国家の罠」「自壊ある帝国」など。2020年に菊池寛賞を受賞。
★★★★[紹介文はこちら]★★
評・土居 豊(作 家)
読書を通じ、人間の思考の過程を知的に楽しむ。そうすることのぜいたくさに、本書は気付かせてくれる。
本書は、著者の佐藤優が母校・同志社大の学生たちと行った読書会の講義記録だ。課題本の内容から次々と参考図書へと読書体験を広げるだけでなく、現在進行中のウクライナ戦争における、人類史上に残るであろう悪行までも念頭に置き、悪とは何かを考えさせる。
タイトル通り、村上春樹の傑作「ねじまき鳥クロニクル」を題材とする。大学生の世代に、村上は国語の教科書で習った作家と捉えられてもおかしくはない。授業で読んだり、入試問題で触れたりしたケースも含め、村上作品は学生たちに意外と読まれている。
それでも「ねじまき鳥―」は全3巻の大作なので、ハードルの高い課題だといえる。教授としての佐藤は、学生各自が悪について読書体験を通じた深い理解に到達できるよう、周到な準備をしている。彼による悪の定義は、「罪が形をとると悪になる」というキリスト教の考えに基づくものだ。その実例として、「ねじまき鳥ー」の主人公、岡田亨を挙げる。表面上は「いい人」に見えているのに、実は悪を内在させているという読解へ、学生たちを導こうとする。
岡田は他の村上作品と同じく、ノンポリで基本的に世間に対しデタッチメント(無関心)な生き方の男性として描かれる。だが、そういういかにも無害に見える人物の内面には、無自覚の悪があるということに、学生たちは気付いていく。
一見平凡そうな主人公が内面に宿命的な悪を潜ませる小説の書き手として、村上もよく作中に引用する夏目漱石が挙げられる。漱石の「こころ」は、今の学生でも多くが国語の授業で読んだだろう。しかし高校の現国の授業と違って、「めじまき鳥―」のような複雑な長編小説を一つの読みへ収れんさせるのは至難の業だ。講義を通して佐藤と共に小説を読み解いた学生たちが、うらやましくなった。
(青春出版社・2090円)
【読 書】
③『風配図』…現代まで届く灯台の光
皆川 博子(みなかわ・ひろこ) 著
1930年ソウル生まれ。作家。作品に「恋紅」(直木賞)、「インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー」(毎日芸術賞)など。
★★★★[紹介文はこちら]★★
評・栩木 伸明(アイルランド文学者)
93歳を迎えた著者の最新作は、12世紀半ばのバルト海を舞台にひとりの少女の運命を描く長編小説である。
執筆開始頃のインタビューによれば、戦後、古本社で見つけた小林秀雄訳のランボオの詩「酩酊船」で読んだ、「ハンザの帆走船」という一節に構想の発端があった。近年の歴史研究の進展を受けて、構想がようやく具体化したらしい。
小説に描かれるのは、バルト海を往還する商人たちがハンザ同盟を結ぶ前夜の時代。西の港町リューベック、東のノヴゴロド共和国、両者をつなぐ交易の要衝ゴットランド島が主な舞台となる。
島の農業主の娘ヘルガが主人公である。難破船の生存者の権利を守るために決闘裁判の代闘士を買って出て、勝利したせいで男たちに嫌われる。それを機縁に彼女は、商人としての経験を積み、外国語を習得して、交易網の拡大に貢献しようと志すのだが、差別的障壁の数々に苦しめられる。
三人称の語り、戯曲仕立ての脚本、登場人物による独白が相まってドラマを紡ぎ出す。さらに海、風、夢、戦い、さすらい、死を歌いながら物語と共振する古今東西の詩句が要所要所に引用される。皆川文学に特有な、詠み手への手厚いもてなしが待ち構えている。
ぼくたち読者はノヴゴロドの市内を歩く。楽師たちが広場で演奏し、イコン絵師の工房があり、政争の気配が感じられる。民会で意思を決める自由都市をページの上で遊覧しつつ、12世紀のノヴゴロドが描かれた小説なんて他にあっただろうか、とふと思う。書き手の周到な準備と構想力に強靭な共感力が加わった結果、輪郭が濃い街路と人々の暮らしが読者の目の前に現出している。
終盤にさしかかる頃には、ヘルガを苦しめた性差別、結婚、技能習得、仕事などをめぐる不自由が人ごととは思えなくなる。小説家の問いかけは射程の長い灯台の光のように、現代まで届いていたと気づかされるのだ。
(河出書房新書・2398円)
【読 書】
④『ごまかさないクラシック音楽』…近代の欺瞞と矛盾突く
岡田暁生(おかだ・あけお)、片山杜秀(かたやま・もりひで) 著
(岡田)1960年京都市生まれ。音楽学者。(片山)63年仙台市生まれ。政治思想史研究者、音楽評論家。
★★★★[紹介文はこちら]★★
評・宮崎 哲弥(評論家)
クラシック音楽というのは謎多きカテゴリーである。音楽理論的には定義困難。時代的な区分を示す名称であるとしても妥当する期間が分明ではない。作曲よりも演奏に重きが置かれがちであり、それ故、聴き手においても、評論家においても、ヴィルトゥオーソ(超絶技巧の奏者)崇拝が跋扈することになる。
もちろんクラシック音楽の多くが、その時々の世俗の音楽に比べ複雑で精密な構造を持っていて、とくに楽器や記譜法の発達とともに高度化していったことは一応認めねばならない。ただそうであるとしても、いろいろ留保すべき点は多い。例えばマックス・ウェーバーの「音楽社会学」は、ピアノ類と平均律の普及を近代的合理化の過程と捉えている。しかしそれによって損なわれた精密さもある。一方向の進歩ではないのだ。
著者たちは、この手垢塗れ、矛盾だらけのクラシックを仮の前提として、音楽史のみならず、社会学、政治史、思想史などの知見を交えながら、ときとしてゴシップみいた挿話やサブカルチャー雑学もぶっ込みながら語り興じていく。
従来、クラシックの世界では、こうした批評的放談の企画は演奏家の話が中心となるものだったが、本書は作曲家本位で、指揮者だのピアニストだのにはほとんど言及されない。
俎上に載せられる作曲家は、バッハからショスタコーヴィチ以後については、シュトックハイゼンやミニマル・ミュージックなどがエピソード的に取り上げられるのみだ。それも面白いが。
総じて政治、社会の状況が、纏めれば「時代状況」が、音楽の様式や技法に影響を与え、楽曲の在り方や質を決定してきたとされる。個の内面とか、音楽構造の内部的要請とかではなしに。
笑いながらページをめくれるが、「近代世界の欺瞞と矛盾を理解する」一助としてのクラシック音楽として隠された主題はとてもシリアスだ。
(新潮選書・2090円)
【読 書】
⑤『人間がいなくなった後の自然』…放棄地の再野生化追う
カル・フリン(CAL・FLYN) 著
作家・ジャーナリスト。著書にオーストラリアの植民地問題を扱った「Thicker Than Water」がある。
★★★★[紹介文はこちら]★★
評・城戸 久枝(ノンフィクションライター)
原子爆弾投下後の人島は、75年草木が生えないと言われた。だが戦後、街には草木が芽吹き、花が咲いた。人間は、戦争や災害で多くのものを失いながらも、自然と共に生きてきた。一方で人間が自然を犠牲にして発展してきたのも事実だ。
世界には、さまざまな原因で人間が放棄した土地である。それらの土地が、今、大きな変化を遂げている。本書は、戦争や原子炉のメルトダウン、砂漠化、毒化、放射能汚染、経済崩壊などが起き、人間が去った12の場所を著者が2年かけて旅し、自然の再野生化に迫ったルポである。
旅の過程で著者が見いだした答えは「人間が退くと、自然は、かつては自然たちのものだったものを取り戻す」というシンプルなものだ。
放射能に汚染され、今も人を遠ざけるチェルノブイリの森には、希少種の野生動物が多く生息している。エストニアにある旧ソ連の集団農業の跡地には数百のガラスの温室が残され、静寂の中、作物は枯れたり、野生化したりしている。人間が去った後、自然は数年、数十年と時間をかけて、元の姿を取り戻してきたのだ。
著者は記す。「私たちは広範で自発的な再野生化の実験の真っ只中にいる」と。著者が目の当たりにした自然の再生力に圧倒される。同時に、人間の残した負の遺産の愚かさに胸を締め付けられる。破壊された環境を取り戻そうとする人々の活動さえも、著者は「人間による侵略的で介入主義的な自然保護の方法」だと突き放す。結局、自然の再野生化に人間の力など必要ないということなのだ。
今も世界中で自然破壊で進んでいる。争いは続き、世界各地では森林が消え、二酸化炭素の排出量は減らない。だが、人間を必要としないところで、自然は変化し続けるだろう。自然の再野生化を邪魔することなく見守りながら、人間が去った後の世界に思いをはせることが、私たちに課せられた使命なのかもしれない。
(木高恵子訳、草思社・3740円)
【読 書】
⑥『タイポグラフィ・ブギー・バック』…活字が放つ時代の空気
正木 香子(まさき・きょうこ) 著
1981年福岡県生まれ。文筆家。幼い頃から活字や写植の書体に魅せられる。著者に「文字の食卓」「文字と楽園」など。
★★★★[紹介文はこちら]★★
評・澤田 康彦(編集者、エッセイスト)
「こころの底ふかく沈んで いつか あなたの暮し方を変えてしまう」というのは本書でも引用されている雑誌「暮しの手帖」の巻頭言だが、本書こそあなたを変えてしまう恐るべき一冊だ。
読後は、目に映る活字という活字が立ち上がり、あなたに挨拶、饒舌に語りだすはずである。
今や「活字表現=タイポグラフィ」研究の第一人者にして名伝道師というべき正木香子、待望の4冊目は副題「ぼくらの書体クロニクス」。1981年生まれの著者の青春期ともいえる平成を彩ったメディアの活字、すなわち雑誌、書籍、漫画、歌詞カード、テレビドラマ…約30年の収穫物が放つ、あの時代の空気を書体から読み解いていく一点突破の試みだ。
「小学生の思いでの『まる子』がしゃべっている心の声と、大人になった現在の『まる子』による天の声。そのふたつのモノローグを、書体のつかいわけによって見事に区別したことが『ちびまる子ちゃん』の画期的な発明である」。前者は丸ゴシック体のナール、後者がタイポスだ。「『きゃりーぱみゅぱみゅ』にいちばん似合う書体は何か」
「休刊する前の雑誌は書体から変わる」
各章「へえ!」の感嘆が続くのだが、個人的には「奇妙な逆転現象が生じている」絵本の話が興味深い。現在、古い「写植の書体をいちばん身近に感じているのは(中略)子どもたち」。「ロングセラーが多い子どもの本にいは、いまでも写植の文字がたくさんのこっているから」。著者は「アンチック体 中見出し」という書体の「ぐりとぐら」を「読み返すたびに、つめたいバターのかたまりが喉をそべりおちていくような、あのころと同じ感覚がよみがえる」と語る。
ウェブでの連載をもとに、軽快平易なタッチで描かれたエッセーだが、一大作業、超のつく労作だ。こんな方法であの日々が懐かしく知的に、何より面白く鳥瞰できるなんて、思いもよらなかったよ!
(平凡社・2530円)
◇
※「読み楽しむ」のでしたら、こうすると安く、お薦めです!
どうぞ、詳細をご覧ください。
いかがでしょうか。今回も読みたいと思います。
その書籍の紹介文はなるほど、読みたくなるのはすごいものです。
これもアフィリエイトのための文章力(ライター?)の参考のために読み続けます。
では、失礼しました。
●ご協力をお願い致します。
にほんブログ村
人気ブログランキング