こんにちは、ハクです。
毎週日曜日、河北新報2版に「書籍紹介」があります。
試しまして、こちらよりご紹介させて戴きます。
書籍数はあまりにも多いので「評」する紹介文がある本だけと致しました。
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大当たり!( ´,_ゝ`)プッ
宜しくお願い致します。
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【著者とひととき】
①『それは誠』…作品を貫く「人間賛歌」
乗代 雄介さん
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修学旅行から帰った少年が、翌日から思い出を書き起こす「それは誠」。青春の輝きがいとおしいロードレベルで、芥川賞の候補作になった。「基本的には人間賛歌でありたい。社会に問題や悪い心があるのを承知しつつも、良いものを絶やす必要もない」。作者の乗代雄介さんは作品を貫く信念を明かす。
高校2年の佐田誠は、修学旅行で東京を訪ねる機会を利用し、日野市に住む生き別れたおじに会いたいと願う。しかし決められた旅程を外れるのはルール違反で、教諭は生徒に全地球測位システム(GPS)を持たせ行動を監視している。誠は班員のクラスメートと共に教諭を出し抜き、コースを外れる「冒険」を試みた。
「人数を多くして会話させるのが今回の挑戦」と乗代さん。班員7人のたわいない雑談がリズミカルで、物語の読みどころにもなっている。「近代文学から今まで小説中の会話が減っているが、言文一致の頃までさかのぼると、今使っていない技術の工夫で4~5人に語らせていた。自分もこの時点に戻ってやってみたくなった」と語る。
7人に普段から仲良しというわけではなく、誠も周囲と距離を置く。それでもメンバーは誠の計画に協力を惜しまない。温かなまなざしを向け合う少年少女の姿には、乗代さんが塾講師時代に見いだした「美しいもの」を反映させた。「僕が見てきた子どもと、世間一般のイメージ、特に文学に描かれる子どもの姿にすごく乖離があって。良い人間になりたい、自分のやりたいことを突き詰めたい、という思いを持っている子どもを書きたかった」
日野市周辺には足しげく通った。あらゆる季節と時間帯、天候を観察し、風景描写に落とし込んだという。「書くことを肉体労働に近づけたい。最初は理想だったが、それがだんだん実践できている。今が一番楽しいし、肉体的にもしんどい」。そう語る笑顔から、実地に学ぶことの充実ぶりがうかがえた。
(「それは誠」は文芸春秋刊・1870円)
【読 書】
②『小説小野小町 百夜』…新しさ 強さ 照らし出す
高樹のぶ子(たかぎ・のぶこ) 著
1946年山口県防府市生まれ。「光抱く友よ」で芥川賞、「小説伊勢物語 業平」で泉鏡花文学賞。2018年、文化功労者。
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評・小島ゆかり(歌 人)
小野小町を小説にするとは、あまりにも果敢な挑戦で驚く。前作「小説伊勢物語 業平」では、「伊勢物語」や「古今集」収載歌の詞書など、人物像の手掛かりとなる資料があったが、小町には何もない。ただ「古今集」に残された18首の歌があるだけ。その18首も編さん者らの意図による配列であるため、小町の人生の物語とは重ならない。
紀貫之が「あはらなるやうにて強からず」(「古今集」仮名序)と評した小町の歌風、また、後の能楽「通小町」「卒塔婆小町」に描かれた美女零落の無残。小町はいわば、男性によって作られた伝説のイメージのうちに閉じ込められた女性なのだ。作家の挑戦の根拠はそこにあったと思う。
残された歌を丁寧に、あるいは大胆に読み解き、その出自や時代や人間関係を見詰めながらフィクションとしての小町を描く。注目すべきは、その過程で、小町の歌の、ひいては小町その人の、新しさや強さを照らし出したことだ。
例えばこの歌。「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」(あの人を思いながら眠ったので、夢に現れたのでしょうか。夢と分かっていたら、目覚めないでいたものを)
恋の夢とさらるこの作が、小説冒頭で母恋の歌として登場する。夢の歌でありながら意志を詠む新しさや強さが、恋を超えた普遍的な愛に届いていることを直感したからに違いない。そして最後にまた恋の歌として収れんされる見事さ。さらに恋の相手に僧正遍昭を選んでいるところも、胸に落ちる。歌から想像されるのはかなわぬ恋。
在俗時に蔵人頭(みかどの秘書室長ともいえる役割)であった遍昭と、みかどに召される小町の恋。二人で恋仲であったという資料はどこにもないが、周到に構成された物語と絶妙なあ歌の配置により、情感と迫力に満ちた悲恋が実話さながらに展開される。
「百夜」とは限りなき夜。古典文学の本質である「あはれ」は百夜の思いに込めた名作である。
(日本経済新聞出版・2420円)
【読 書】
③『叩く』…日常に潜む不穏を暴露
高橋 弘希(たかはし・ひろき) 著
1979年十和田市生まれ。著書に「指の骨」、「日曜日の人々(サンデー・ピープル)」、「送り火」(芥川賞)がある。
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評・横尾 和博(文芸評論家)
「不穏」があふれている。いつから社会は荒れ始めたのだろう。特殊詐欺、連続強盗、ストーカー、DV、銃器テロ…。日々のニュースは枚挙にいとまがない。不穏は不満、ストレス、生きづらさに意匠を変え、静かに私たちの日常に忍び込み、社会には不気味な暗雲が漂う。
時代の不穏を描けばぜちみょうな著者。本書の五つの短編も、日常に潜む不気味さを暴き出す。表題作の「叩く」は29歳の期間工の男が借金の末、闇バイトに応募し見知らぬ男と強盗に入る話。家には老婦人がひとりで、きんこには莫大なきんせんがある。強盗に誘った共犯者の裏切りで、彼は犯行後その家に残され、顔を見られた老婦人を殺害するか葛藤を続ける。葛藤の中で、男は生と死はコインの裏表だと考える。ドストエフスキー「罪と罰」のラスコーリニコフの老婦人殺しを想起させる物語。
他の4編も背後に名状し難い不穏が漂う。理由も分からず妻に家出された夫を描く「アジサイ」。庭のアジサイが自分の生きざまをじっと見つめているかのようだ。妻の家出の原因は日常の澱のようなむなしさが沈殿したのか。また「風力発電所」は故郷の風力発電地を訪れ、巨大な白い風車の下を見た作家。そこには腐臭広がる生物の死骸があった。それは文明の陰の犠牲を示唆する。
「埋立地」は少年期の冒険譚で、工事現場にある迷路の横穴で都市の地価の暗部を物語る。海辺に生きる男性の青春物語が「海がふくれて」。大津波を経験した土地での海の怖さを、「ふくらむ」という言葉で表現した。「膨らみ」から想像されるものが怖い。いずれの作品も不安と不気味さに彩られる。
私たちは安逸な生をむさぼっている。自分たちは正気だとも考えている。その何気ない日々に不穏の影があるのだ。人は物事の表面ばかりを見る。富と貧、明と暗、進歩と犠牲、いつも光は表に当たるのだ。だが忘れている影や不条理の存在を問うのが文学。本書が秀逸な理由である。
(新潮社・1870円)
【読 書】
④『関東軍』…近代日本の過誤を活写
及川 琢英(おいかわ・たくえい) 著
1977年北海道生まれ。北海道大大学院共同研究員。著書に「帝国日本の大陸政策と満州国軍」。
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評・井上 寿一(学習院大教授)
日本の夏は敗戦の記憶を呼び起こす。なぜ負けたのか。国家的な破局の元凶は軍部、中でも関東軍である。関東軍は陸軍の出先軍の一つで、旅順、大連を含む遼東半島南端の関東州と南満州鉄道付属地の守備隊と過ぎなかった。
それなのになぜ関東軍は謀略を巡らせ独走することができたのか。
本書は近年の研究動向を踏まえながら、未刊行一次史料の精緻な読解をとおして、関東軍の暴走を制御できなかった原因を明らかにする。
本書の第1の分析視角は関東軍を取り巻く制度的環境である。そこからは、暴走を可能にしたのは、関東軍が「天皇直隷」の出先部隊だったからとわかる。天皇が個別に作戦を指揮することはなく、「天皇直隷」となれば、政府や陸軍中央は手出しができなかった。
しかし「天皇直隷」だからこそ制御することも可能だった。関東軍は「臨参委命」(参謀総長が天皇から統帥権の一部を委任されて指揮命令する)に服さなければならなかったからである。実際に関東軍の独走にブレーキがかかり、独立国家の樹立は失敗しかける。
それでも目標を達成できたのは、第2の分析視角である関東軍軍人の個人的特性によるところが大きい。別の言い方をすれば、参謀だった石原莞爾の特性によって満州事変は拡大した。他方で、関東軍司令官となった梅積美治郎によって統制が回復される過程も描く。
満州国が存続した背景にあったのは、第3の視覚が照射する満州現地勢力の存在だった。
こうして対ソ連戦の戦略的拠点・軍事資源のの供給地としての満州国を確保しながら、いざソ連との間で軍事紛争が起きれば、関東軍の作戦は失敗した。日ソ戦争が始まると、関東軍はなすすべもなく敗走した。
以上のように三つの分析視角から本書がその全体像を活写する関東軍とは、要するに近代日本の過誤を象徴する組織だったのである。
(中公新書・1012円)
【読 書】
⑤『郵便局の裏組織』…利権と保身 不正の温床
藤田 知也(ふじた・ともや) 著
朝日新聞記者。「週刊朝日」記者を経て、19年9月に経済部へ。著書に「郵政腐敗 日本型組織の失敗学」など。
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評・森 健(ジャーナリスト)
読後、読者が思うのは郵政民営化はしておいてよかったという実感、と同時に、いまだにこんな前時代的な組織があるのかという違和感だろう。
朝日新聞記者の著者が本書で描くのは、民営化以前、全国特定郵便局長会と呼ばれた「全特」という団体の実態だ。郵便局の大半は地域に密着した小規模局(旧特定郵便局)だが、全特はその旧特定局の局長だけで構成されている任意団体だ。
その実態はいびつだ。「目先の利権と幹部らの保身を優先し、民間から招いた経営者の足を引っぱり、不正や人権侵害抜きには通らない非常識な慣習や伝統を聖域にして温存させた」。そんな厳しい指摘通り、著者は取材から「名士」とは程遠い姿を描いていく。
たとえば郵便局舎の私物化。局舎を新築するとき、局長は郵便局長協会から資金を借り入れる。融資資金の利息収入を協会が得るためだ。建てると局舎の賃料は親会社の日本郵便が払うため取りっぱぐれはない。だから局長も協会も安泰だ。一方、恒例の地主女性から欺くような安さで土地を仕入れたりもしている。
政治活動では郵便局の強みを生かす。顧客のゆうパックやカタログギフトの申込書などから個人情報を抜き出し、選挙の後援会入会を働きかけたり、支援者獲得のためにカレンダーを配ったり。そこで全特にかつがれた参院議員は、全特を維持するために国政に働きかける政治活動を行う。
全特では裏切り者は許さない。日本郵便本社に内部通報があると、通報があった当該地区のボスに連絡。通報者を見つけてどう喝し、締め上げる。
こうした前時代的で順法意識に欠ける行動は、「同一認識・同一行動」という価値観に基づいている。自分たいの組織を維持させるため、団結や絆を求める。だが、その徹底した内向きの目線と活動がゆえに、不正や悪弊が露見し、逆に組織は弱体化しつつある。
今後の郵便局はこれでよいのか、このまま維持すべきなのか。あらためて考える契機にもなる。
(光文社・1980円)
【読 書】
⑥『被差別部落に生まれて』…強烈な偏見 冤罪を生む
黒川みどり(くろかわ・みどり) 著
静岡大教授。専門は日本近現代史。著書に「被差別部落認識の歴史」「増補 近代部落史」など。
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評・鎌田 慧(ルポライター)
もしも西武線・狭山市駅から500㍍も離れていない畑の中に、下校途中に消息を絶った高校生、中田善枝さんの遺体が埋められていなかったなら、すぐ近くに住んでいた石田一雄さんは、80歳すぎまで殺人者の汚名を着せられ、苦しみの半生を送ることはなかった。
真犯人がなぜ被差別部落地近くの畑の中に、遺体を埋めたのか。部落の人の仕業にしたかったのかどうか、それは判らない。が、当時の警察とマスコミとの、部落=「犯罪の温床」「特殊地区」とする強烈な差別意識が、集中的な見込み捜査を強行させた。連日にわたって若者たちが警察に呼びだされ、石川さんを逮捕した。事件のあった日、石川さんは自宅で夕食をとっていた。が、家族の証言はアリバイの証明にされなかった。
勤め先の養豚場の小屋を造るための材木を盗んだ、鶏を捕まえて友人たちと食べたなど9件の別件逮捕だった。拘留期限がきて釈放された。が、数歩を歩いた玄関先で再逮捕。解放感から絶望へ。警察の権力を見せつけた演出だった。
部落研究者の著者は、当時のマスコミの差別的視点の批判に注力する。石川さんはどん底の貧困家庭だった。子守の仕事などで家計を助け、ノートも買えないばかりか、小学生にもろくに通えなかった。極端な困窮が、石川さんを平仮名だけは辛うじて書ける程度の非識字者にしていた。
さらに社会的な無知は留置場での支配者である取調官に籠絡され、弁護士への不信感を抱かせた。警察官による、証拠としての万年筆のすり替え、奇想天外な非識字者による脅迫状の作成など、冤罪証明の明白な証拠である。
この本では被差別部落住民への、警察とマスコミとの差別的な犯罪の押し付けがこまやかに描かれている。四国の被差別部落にいて狭山事件を知り、32年の拘留の後、針釈放された石川さんと現地調査で出会って結婚した、早智子さんとの物語が感動的である。人間を救わない、人間を苦しめる裁判所に、正義の力がよみがえってほしい。
(岩波書店・2750円)
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どうぞ、詳細をご覧ください。
いかがでしょうか。今回も読みたいと思います。
その書籍の紹介文はなるほど、読みたくなるのはすごいものです。
これもアフィリエイトのための文章力(ライター?)の参考のために読み続けます。
では、失礼しました。
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