こんにちは、ハクです。
毎週日曜日、河北新報2版に「書籍紹介」があります。
試しまして、こちらよりご紹介させて戴きます。
書籍数はあまりにも多いので「評」する紹介文がある本だけと致しました。
どうぞ、ぽちっと「折りたたみメニュー」で、ご覧くださいませ。
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大当たり!( ´,_ゝ`)プッ
宜しくお願い致します。
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【著者とひととき】
①『行動する詩人 栗原貞子』…核は現在と未来の問題
松本 滋恵さん
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「これほど平和や核の問題に誠実に取り組んだ人はいないと思う。もっと多くの人に作品や生き方を知ってほしい」
原爆投下直後の広島で生まれた命をうたった詩「生ましめんかな」などで知られる、詩人で被爆者の栗原貞子さん(1913~2005年)の代表作と時代状況を、自身も被爆した松本滋恵さんが読み解いた。4年前に77歳で書き上げた博士論文の書籍化だ。
貞子さんの詩の底流にある抑圧された者への共感と、歯に衣着せない批判精神。その原動力を、核兵器の惨禍を体験し、「亡くなった人の分まで生き残った自分が伝えねばという思い」に加え、アナキストである夫唯一さんとの結婚で、戦前経験した差別や困窮にみる。「戦争が終わったことは解放であり希望だった」
核実験、朝鮮人被爆者への差別、原発、ベトナム戦争、自衛隊の海外派遣…。多くの異議申し立てに加わりながら詩作を継続。「ヒロシマというとき」では原爆被害と日本の加害責任を併置させ論議を巻き起こした。
貞子さんにとって、詩作と運動は「車の両輪だった」と位置付ける。「問題を外から眺めるのではなく、中に入れ込んで、一緒に悩んで、作られているから詩の言葉に今でも力があるんです」
松本さんは3歳の時、爆心地から約3㌔の自宅で被爆し、祖父や伯父夫婦を亡くした。年長者と比べると「及びもつかない」ほどの記憶しかないという気持ちが強く、証言活動などはほとんどしてこなかった。
だが東日本大震災の原発事故を機に、核の問題に向き合いたいと、大学院で原爆文学を研究することに。修士論文で小説「夏の花」などで知られる作家原民喜らを取り上げ、博士課程で貞子さんに取り組んだ。「文学を学ぶことで、私にも原爆を伝えられると思ったんです」
原爆投下から78年。核廃絶tへの歩みは停滞気味で、ウクライナに侵攻したロシアは、核使用をちらつかせる。「廃絶されないと原爆は過去にならない。現在と未来の問題なんです」
【読 書】
②『ハンチバック』…身体超え躍動する言葉
市川 沙央(いちかわ・さおう) 著
1979年神奈川県生まれ。筋疾患先天性ミオパチーのため人工呼吸器と電動車椅子を使い生活。本作で文学界新人賞と芥川賞を受賞。
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評・阿部 公彦(東京大教授)
読者を圧倒する力のある芥川賞受賞である。「ハンチバック」は「せむし」の意で、差別的な響きのタイトルに戸惑うが、著者は当事者だという。先天性ミオパチーを患う重度の身体障害者が自嘲気味に、偏見を揶揄しながら、軽妙さと意地悪さと鋭い洞察を織り交ぜて語る作品は、壮絶だが悲惨ではなく、困難だらけなのに暗くない。言葉に芸があるのだ。こんな状況なのに読者のことを慮っている。
主人公の釈華は背中が湾曲して肺が押しつぶされ、痰がからむたび死を意識する。「生きれば生きるほど」身体が「いびつに壊れていく」という難病のために歩行も呼吸も困難。しかし、会話の機会もほとんどない釈華を「書き言葉」が奇跡的に社会とつなぐ。
実は彼女はひそかにライター業をこなしている。訪れたこともない風俗店の体験ルポを書き、SNS上では障害者として「妊娠と中絶がしてみたい」と投稿する。大学の通信課程にも所属、オンライン授業に出てレポートも書く。道具(メディア)を介することで、身体の限界を超えてその言葉は躍動する。
危うさもある。釈華が介護を受けるグループホームは丸ごと両親の残してくれた資産で金銭的な心配はないが、ある日、釈華のひそかな活動を男性の介護スタッフに知られたことがわかる。釈華は動じない。巨利をちらつかせて念願の「妊娠と中絶」に彼を利用しようとするが、性的行為の途中で身体が悲鳴をあげる。
今、当事者語りへの関心は高いが、本作はそれを逆手にとり書く人と書かれる人のギャップを見せつける。呼吸を伴う話し言葉と、道具が生成した書き言葉は宿命的にずれる。釈華も著者も、書かれたものが現実を裏切ることを知っている。皮肉も嘲笑も、反転して自分を撃つ。鮮やかな芸で楽しませる作品だが、ラストではいびつなものが持ち込まれついに読者を裏切る。賛否両論のある終わり方だろうが、著者のこだわりは伝わった。
(文芸春秋・1430円)
【読 書】
③『白鶴亮翅』…人と歴史 自分の言葉で
多和田葉子(たわだ・ようこ) 著
1960年東京都生まれ、ドイツ在住の作家、詩人。著書に「犬婿入り」「雪の練習生」「献灯使」など。
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評・滝口 悠生(作 家)
ベルリンでひとり暮らしをしている翻訳家の美砂のもとに、ある日隣人のMさんが、お願いしたいことがある、と訪ねてくる。美砂は越してきてまだ日が浅く、Mさんの名前も知らないのだが、お願い事が何だったかわかるのはそれから60ページほどあと、Mさんの名前が明らかになるのは、さらにずっと先のことだ。
この遅さが本作の特徴だ。それは日本を離れ、元はフライブルクで同居していた夫とも離れ、自分のそれとは違う言語、違う国籍や来歴を持つ人々と関わりながら毎日を送る語り手の生活の速度でもある。「わたしは転びやすい」と作中何度も繰り返されるが、美砂は身辺に現れる言葉のひとつひとつに躓くように立ち止まり、その言葉について検分し、語り直そうとする。先を行く前に過去を思う、だから歩みは遅くなるが、小説においてはその遅さが豊かさになる。過去が今と結びついたところに語るべきことが生まれる。
美砂は子ども時代に東プロイセンからドイツに移ってきたMさんとその家族の時間に思いを向ける。複数の言語に跨る翻訳家が、複数の国に跨って生きた人の人生の語り方について思考する。大変時局的な課題だが、美砂はその問いを社会や歴史の文脈ではなく、自分の言葉で捉えようとする。そこにこの作品の、ひいては小説という形式の意味がある。「年齢も歩んできた人生も全く違うのに、言葉を交わし始めるとどんどん話したいことが出てきてとまらなくなる」という一文が、この小説をゆったりと伸びやかに動かしている。
Mさんの頼み事は太極拳教室への動向だったのだが、「鶴を羽を広げる」を意味するタイトルも太極拳の型の名である。ゆったりとした語りは太極拳のフォームにも似ているが、作品終盤では鮮烈な「白鶴」のイメージが展開する場面がある。それは本作の語りが蓄えた力の発現であると同時に、誰もが知る世界的な文学作品に作者が向けた一撃でもある。
(朝日新聞出版・1980円)
【読 書】
④『反戦平和の詩画人 四國五郎』…作品が醸す怒りと気迫
四國 光(しこく・ひかる) 著
1956年広島市生まれ。四國五郎さんの長男。電通に入社し、マーケティング局局長などを務めた。
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評・指田 和(児童文学作家)
原爆の悲劇を伝える絵本「おこりじぞう」。その絵を描いた四國五郎さんが鬼籍に入って9年になる。かなわぬ願いと知りつつも、一度でいいからお会いしたかった。平和の大事さを次世代に伝えようともがく、一人の書き手として。
何も語らず、広島の川辺でスケッチをする四國さんの隣に座り、描き上がるのを持つだけでいい。そのたたずまいと画用紙に引かれた確かな線を見るだけで、大きな勇気をもらったに違いない。
本書は、絵と詩を通して反戦平和を訴え続けた詩画人の軌跡を、長男の著者が家族の視点から丁寧につづった評伝だ。
幼いころから絵を描くのが好きだった四國さんが育ったのは、戦争の時代の広島だった。戦場から帰った長兄は足を負傷し、次兄は中国に出征。家族が食べてくいくために、10代半ばの四國さんは働く道を選ぶ。20歳で満州従軍、敗戦後はシベリアに抑留。飢えと極寒の中の強制労働に、死の淵をさまよったこともあった。
それでも決してペンを持つ手を止めない。監視の目をくぐり、小さなノートに日々を記録し続ける。それを軍靴の奥にしのばせて、シベリアから日本まで持ち帰った執念。故郷で持っていたのは、最愛の弟の被爆死だった。
それらすべてを全身全霊で受けとめ、平和への切なる思いを塗りこめた作品が醸し出す、静かな怒りと気迫。市民の目や心に届くことを一番に考えて描き続けた姿に、目頭が熱くなる。
著者にとって四國さんは、やさいく温厚な「お父ちゃん」だった。残された日記や膨大な表現物と向き合い、父を再発見していったという。
「武器を蓄えることではなく、世代を超えて、記憶を継承し蓄積し、それによって強固な『意志』を継承して行く。そのことこそが、負の歴史を繰り返させないための、本当の『抑止力』ではないか」。著者の言葉に、四國さんの魂が確かに生きていると感じた。
(藤原書店・2970円)
【読 書】
⑤『女フリーランス・バツイチ・子なし 42歳からのシングル移住』…田舎暮らしの壁と幸福
藤原 綾(ふじわら・あや) 著
1978年東京都生まれ。編集者・ライター。ファッションや美容、アウトドア、文芸など幅広い分野で活動する。
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評・宮本まき子(家族問題評論家)
「北の国から」は昭和末期の人気ドラマである。東京暮らしに疲弊した父親が子連れで北海道に帰郷する。自然から恵みを受け、地域社会に支えられた生活こそが人間の原点だという倉本聰の脚本が、バブル景気への警鐘となり、社会現象にもなった。
本書は、東京で生まれ育った中年のシングル女性が突如思い付き、鹿児島へ移住する、いわば「実録・南の国から」である。いっぱい寝て、おいしいご飯を食べて、水道水をがぶ飲みして、大音量で音楽を聴き、満点の星を眺めて、温泉に入りたい」という個人的な欲求が動機だという。
「それっぽっちの理由で?」と心配した読者が食い付けばしめたもの。元はインターネット上の1年がかりの連載だから、移住プロセスがライブ中継のように繰り広げられ、読者もバーチャル体験をした気分になる。
車がなければ生存さえ危うい過疎地なのに、これから自動車学校に通うという泥縄対応とか、リモートワークのWi-Fi環境が無い(!)のを引っ越した日に発見とか…。東京への往復交通費で仕事のギャラが相殺されるほど、「田舎暮らしの壁」は高い。それでも東京を脱出したのは、中年の危機にありがちな先行き不安に戸惑う著者の背中を押す識者がいたからである。
一人は「30年後に東京の二極化でスラム街が発生するが、地方には伸びしろがある」と予想する不動産業の「林さん」。決め手は「首都直下型地震やパンデミックなどの災害に弱い都心部からの脱出や一億層農民、自産自消のサバイバル術」を説いて実践する経済評論家の森永卓郎氏。2人のインタビューは核心を突いていて一読に値する。
移住後1年、著者は自然に抱かれ、新鮮な野菜や人との触れ合いで「都会人が知らないぜいたく」を満喫中らしいが、できれば数年ごとに「南の国から」の続編ルポを書いてほしい。幸せのお裾分けが欲しい読者と、ハッピーエンドだけが人生じゃないよとひがむ読者のためにも…。
(集英社・1650円)
【読 書】
⑥『小津安二郎』…戦争と文壇軸に新視点
平山 周吉(ひらやま・しゅうきち) 著
1952年東京都生まれ。雑文家。著書に「戦争画リターンズ 藤田嗣治とアッツ島の花々」「満州国グランドホテル」など。
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評・滝浪 佑紀(立教大准教授)
今年、生誕120年・没後60年を迎える小津安二郎。この日本を代表する映画監督については多くの批評や評伝が書かれ、もはや新しい見解は出ないのではないかと思われた。本書はこんな危惧を払拭してくれた。この本で示された新しい視点として、次の2点を指摘したい。
一つ目は第2次世界大戦の記憶に関するものである。「早春」の戦友たちの集まりや「秋刀魚の味」の軍艦マーチなど、戦争に関わるモチーフは小津の戦後作品を通じて散見される。原節子主演の「麦秋」や「東京物語」では、戦死したという設定の不在の人物が重要な役割を果たす。
小津作品と戦争の関係はこれまでも注目を集めてきた。ただし本書は作品の細部に、小津の盟友にして、戦争で早世した映画監督・山中貞雄の思い出を見いだしている。山中が出征前に小津宅を訪れた際、庭にはたくさんの葉鶏頭に交ざり、一茎の鶏頭が咲いていたという。「東京物語」終わり近くの尾道の場面では、画面の片隅に鶏頭を確認できるが、この鶏頭は山中にささげられているのである。
二つ目は小津と文壇の関係である。小津は志賀直哉や谷崎潤一郎を愛読したが、彼が最も尊敬し、個人的交流もあった作家は里見弴である。里見の小説は小津作品に影響を与え、里見は小津に脚本に関する助言を与えることもあった。
そればかりか里見はあるインタビューで、「晩春」の最後で笠智衆がリンゴの皮をむく代わりに、台所横の階段を見上げ、無人の2階を映した方が良かったと感想を漏らしている。小津はこの発言を参考に、娘が嫁いだ後の無人の階段と2階を捉えた「秋刀魚の味」のラストシーンを撮ったのである。
小津ファンなら、平山周吉という著者名に驚くだろう。「東京物語」で笠が演じた父親の名前だからである。著者は半世紀ほど前に小津と運命的出会いを果たし、この筆名を選んだという。
本書はこの筆名にふさわしい力作である。
(新潮社・2970円)
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※「読み楽しむ」のでしたら、こうすると安く、お薦めです!
どうぞ、詳細をご覧ください。
いかがでしょうか。今回も読みたいと思います。
その書籍の紹介文はなるほど、読みたくなるのはすごいものです。
これもアフィリエイトのための文章力(ライター?)の参考のために読み続けます。
では、失礼しました。
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