こんにちは、ハクです。
毎週日曜日、河北新報2版に「書籍紹介」があります。
試しまして、こちらよりご紹介させて戴きます。
書籍数はあまりにも多いので「評」する紹介文がある本だけと致しました。
どうぞ、ぽちっと「折りたたみメニュー」で、ご覧くださいませ。
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大当たり!( ´,_ゝ`)プッ
宜しくお願い致します。
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【著者とひととき】
①『深澤直人のアトリエ』…幸せ感じた瞬間を記憶
深澤 直人さん
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「人は普段、自分がいつ幸せを感じたか、あまり考えない。だから僕は積極的に考えたい。暮らしの中で感じた『いいな』と思うことを」。デザイナーの深澤直人さんが、その思考を具現化したアトリエ兼自宅を建てた。本書に、エッセンスとなる言葉と、井江の表情を記録した写真を収めた。
空にきれいな直線を描く白壁に、長方形の窓がリズミカルに並ぶ。視界を遮る塀はなく、大きな扉が来訪者を迎える。中に広がるのはすがすがしい心地よい空間だ。
家具や家電など生活を彩る多様なデザインを世界に発信してきた。「世の中のちょっとしたスイッチが入れば良いな」と常に意識する。家を見た人が「あの窓、何かいいね」と感じることも一つだ。環境と調和した古い街並みに憧れる人は多いのに、現実は雑多な色が混ざった灰色の街でできていく。雰囲気や心地の良いあしをつかむ感覚は誰もが持っている。「コロナ禍で多くの人が生活について深く考え始めたときだから、本物には朽ちて傷ついても味になる良さがあると伝えられたら」
「家を建てること」とは何か。「どこで暮らすか」だけでなく「どこで死ぬか」「どう生きたいか」まで思索を深めた。自分を幸せにしてくれるのは特別な場所での特別な時間と思いがちだが、そうではないはずだと指摘する。「幸せな時間を自然に過ごせていると感じた日常の瞬間を記憶していくんです。はっとした瞬間の何を良いと思ったかを反すうすれば、『いいな』と感じるものに気付けるようになる」
そうした無数のインプットが「パズルがぴたっとはまる時のような確信」となり、携帯電話や時計、家電といった精密機器、食器や椅子、トイレなど数々の名品を生んできた。デザインには「周囲を少しずつ変える良い影響力がある」。
そんな創造的な領域に人工知能(AI)が進出し始めた時代でもある。「事実と虚像の混在が人を困惑させ、信頼なく成長している。AIが全く同じものを作れるからこそ、何が真実か、将来に生かされるものかどうか、デザインで考えなければいけないと思います」
【読 書】
②『その昔、ハリウッドで』…小説は余技か新境地か
クエンティン・タランティーノ(QUENTIN・TARANTINO) 著
1963年米国生まれ。映画監督。監督作品に「パルプ・フィクション」「キル・ビルVol.1」など。
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評・樋口 毅宏(作 家)
まず、面白すぎて驚愕したことを素直に告白しておきたい。映画「ワンス・アポン・あ・タイム・イン・ハリウッド」をタランティーノ監督自身がノベライズした本書のことだ。
読むにあたり1960~70年代カルチャーへの最低限の造語は必要だが、気の利いたセリフ、暴力描写、小説内小説の二重構造など、抑制された筆致ながら読者へのサービス精神にあふれていて、1ページにて中弛みすることはない。訳者の貢献度が大きいだろうがタランティーノは小説でもタランティーノだった。
この本を手に取るような人が映画を未見とは思えないが、やはり先に見ておいたほうがいいだろう。基本ストーリーは同じだが、小説には主人公である落ち目の俳優リック・ダルトンが重要な悪役を演じた「対決ランサー牧場」のストーリーラインがふんだんに、そして冗舌に織り込まれている。オタクのタランティーノが受け手に読み比べ、見比べされることを目的としているのは言うまでもない。映画では上映時間の都合上省かざるを得なかったエピソードを盛り込んだ、ディレクターズカット版なのだろう。
読んで感じたのはこの物語の主人公は映画こそリックだが、小説のそれは彼のスタントマン、クリフ・ブースだということ。200人を超える敵を殺した実在の軍人オーディ・マーフィーをモデルにした凄惨波乱な半生が丹念につづられる。なぜ映画でブルース・リーを小ばかにしたのかもわかる。タランティーノにとっては戦場を知らない一武道家に過ぎないのだ。
実は小説版にはクライマックスの「歓迎すべき歴史改ざん」が一切描かれない。ゆえに評価を二分するかもしれない。それでも映画を見直したくなることは間違いない。本書は映像だけでは表情しきれなかったタランティーノの大いなる余技か、はたまた10本で映画監督引退を公言する彼の新たなキャリアへの第一歩か。新たなオリジナル小説もぜひ読みたいと願う
【読 書】
③『墨のゆらめき』…言葉が持つ根源的な力
三浦しをん(みうら・しをん) 著
1976年東京生まれ。「まほろ駅前多田便利軒」で直木賞、「舟を編む」で本屋大賞、「ののはな通信」で島清恋愛文学賞。
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評・仲俣 暁生(文芸評論家)
東京・西新宿にある、部屋数わずか24室の「昭和感」あふれる三日月ホテル。ここのホテルマンである続力は、なぜか他人からよく話しかけられるという体質、すなわち天性のホスピタリティー0をもつ。
長年にわたり披露宴の招待状などの宛名を書く「筆耕士」の仕事を頼んでいた書家が亡くなり、その跡を継いだ養子に宛名書きを頼もうと、続は古い書道教室を訪れる。「カネコ」という名の猫と暮らす30代の独身男、遠田薫はいささか奇矯な人物だが、どんな筆跡でも唐人に「憑依」したように似せて書けるのだった。
遠田は続を「チカ」というあだ名で呼ぶようになり、筆耕士の依頼を繰り返すうちに2人は親しくなる。そればかりか続は「代筆屋」の片棒を担うことにもなる。文面を続が考え、その場で遠田が手紙をしたためるのだ。
最初の依頼人は、遠く離れてしまう友達に別れの手紙を書きたい小学生。2人目は、恋人が自分と別れたくなるような手紙を書いてほしいという若い女。ただし、謝礼は「うまい棒」や「牛肉」の現物払い…。こんな魅力的な導入で始まる本作では、著者の十八番というべきモチーフー男同士の不思議な友情、言葉や文字がもつ根源的な力への信頼―が十全に描かれる。
前半から中盤は著者の代表作の一つ「舟を編む」をほうふつさせる「手紙小説」の面白さで引っ張り、後半は遠田という不思議な人物をめぐる謎が徐々に明らかされ、ぐっと話がシリアスになっていく。自身の辛い過去を、遠田は続にだけは語ってきかせる。それほどまでに遠田から信頼を得ながらも、2人の心はあやうくすれ違いそうになる。
他日相思来水頭。会いたい気持ちが募ったときには、またこの川辺に来よう。書家として遠田が真摯に向き合う、唐代の詩人・劉商が残した漢詩「送王永」のこの一節は、本書全体のモチーフでもある。
(新潮社・1760円)
【読 書】
④『B-29の昭和史』…蝕まれた素朴な人の夢
若林 宣(わかばやし・とおる) 著
1967年生まれ、ライター。著書に「帝国日本の交通網」「日本を動かした50の乗り物」など。
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評・青来 有一(作 家)
B29戦略爆撃機は、太平洋戦争におけるアメリカの軍事力の象徴だった。おびただしい焼夷弾は都市を焼き尽くし、広島、長崎を原爆で破壊した。戦争を経験した世代は「敗戦」の象徴として記憶にとどめているかもしれない。
本書は、多様な資料を基にその記憶を浮かび上がらせる試みといっていい。はじめに戦略爆撃思想が生まれ、無差別爆撃へと向かう歴史的背景に触れ、B29の開発から日本爆撃までの概略をたどる。B29による最初の日本爆撃は1944年6月の北九州爆撃で、以降、日本国民を圧倒する恐怖の存在となる。
日本国民にとって空襲とはどのような体験だったのか。著者が、当時流行の小唄、歌謡曲、海野十三のSF小説、少国民雑誌、重慶爆撃礼賛の詩、伊藤整や谷崎潤一郎の日記などからその真相を探る手法はユニークだ。
戦前、日本人が抱いた「モダンで尖端的な」飛行機のイメージは、勇猛で翼賛的な戦意高揚の象徴に変わる。さらに実際に空襲を経験する中、人々は爆撃機への体当たり攻撃に熱狂し、やがて特攻が現れた。撃墜されたB29搭乗員への日本国民の凄惨な報復には、被害と加害が錯綜する戦争の実相がうかがえる。
本書終盤では「火垂るの墓」で知られる作家野坂昭如の神戸大空襲体験が取り上げられる。戦後、B29にアメリカで"再会"した野坂は「美しい飛行機」が発する「禍々しい爆音」に混乱し、「突然の吐き気のように、涙がとび出した」と記した。著者はそこに戦争の記憶の忘却に抗う野坂の心情を考える。幅広い話題に言及しながらも、戦闘機を「機能美」として語ることへの批判など、著者の反戦姿勢は本書全体に貫かれている。
空を飛ぶという人間の素朴な夢は戦争によって蝕まれた。対話型AIなどの最新の科学技術にも危うさはつきまとう。野坂昭如が恐れたB29の機影と爆音の記憶は忘れてはならない警告なのかもしれない。
(ちくま新書・1078円)
【読 書】
⑤『わたしの香港』…故郷喪失者の葛藤描く
カレン・チャン(KAREN・CHEUNG) 著
1993年中国生まれ、香港で育つ。ジャーナリスト。本書がデビュー作。
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評・西谷 格(ノンフィクションライター)
故郷を失うとは、どういうことなのだろう。当たり前にあったはずの風景、家族や友人との語らい、街のにおい。そうしたものが記憶の中にしか存在しなくなった時、喪失感と詩う言葉では表しきれないほどの深い悲しみや無力感をもたらすに違いない。
今の香港は、一見かつてと変わらない日常を取り戻したように見えるものの、天安門事件への言及や中国共産党批判は封じられ、言論の自由を喪失した街にかつてのような開放的な空気は流れていない。その意味で、多くの香港人はこの3年ほどの間に一種の故郷喪失を経験したと言える。
本書は1993年に生まれ香港で育ったジャーナリストの女性が、自分史を手がかりに故郷喪失を回想し、都市の変容を記録したものだ。
語られているのはごく個人的なことばかりで、深夜に怒鳴り声をあげる横暴な父親や迷信深い祖母、工場跡地に建てられたライブハウスでのミュージシャンとの交流、長年続く不安定なメンタルといったもの。
ストレートニュースでは"余計な話"として切り捨てられるであろうエピソードの数々は、一冊の本に集積されることで、不思議な効果を生み出している。無数のディテールが著者の人格を明瞭に浮かび上がらせ、社会が変容してしまったことの意味を内なる視点から率直に伝えるのだ。逡巡を含んだ繊細な筆致が、むしろ新鮮である。
香港がこれまで、入植者の子弟が通うインターナショナルスクールに象徴される"欧米の視点"で語られがちだったことにも、著者は言及する。そうした分かりやすい視点は間違いではないものの決してすべてではなく、分かりやすさを拒んだ先にこそ、香港人の抱える本当の葛藤とやり切れなさが見えてくる。
その葛藤をどこまでも誠実に綴った本書は、もう戻ることのできないかつての故郷への静かな鎮魂歌でありラブレターでもある。
(古屋美登里訳、亜紀書房・2750円)
【読 書】
⑥『人間非機械論』…AI社会の未来を展望
西田 洋平(にしだ・ようへい) 著
1980年生まれ。東海大講師。専門は情報学。著書に「情報資源組織論」(共編著)、「AI時代の『自律性』」(共著)など。
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評・岡本裕一朗(玉川大名誉教授)
昨年11月、「チャットGPT」という生成AI(人工知能)が発表され、世界中で大ブームとなっている。日本でも、政府をはじめ多くの企業が早速導入を決めた。それとともに、AI脅威論が以前にも増して叫ばれるようになっている。
ちょうどいいタイミングで、本書が出版された。表紙を見ると、AIを論じた従来の書籍と間違いそうだが、むしろAI論(脅威論、礼賛論を含む)に対する批判の書である。副題「サイバネティクスが開く未来」の通り、サイバネティクスがテーマである。
しかし、サイバネティクスといっても、今どきの読者にはぴんとこないかもしれない。20世紀中頃、米国の数学者の―バート・ウィーナーが提唱し、その後さまざまな分野に波及した革命的理論。「フィードバック」という概念を言えば、了解いただけるかもしれない。
「サイボーグ」「サイバースペース」などは、サイバネティクスから派生した言葉である。生理学と機械工学の共通点などを総合的に扱う中で、情報と制御の理論が構築されたのである。その後、サイバネティクスは人工知能の浸透と裏腹に、社会的にも学問的にも目立たなくなっていった。
サイバネティクスは今どうなっているのか。この疑問に答えてくれるが本書である。ウィーナーから始まった科学は、1970年代に大きく展開し、現在は「ネオ・サイバネティクス」となっており、本書はその過程を明快に描く。
タイトル「人間非機械論」は、極めて挑戦的である。というのも、かつてウィーナーの本が「人間機械論」と邦訳されていたからだ。古いサイバネティクスは「コンピューティング・パラダイス」に基づき、人間機械論を提唱した。これに対し、ネオ・サイバネティクスは人間や生物が非機械であると宣言する。
ここから、どんな未来社会が開かれるのか、楽しみである。とりわけ、人間機械論からAIの脅威が言い立てられるこの時代には、必読の書と言ってよい。
(講談社・2255円)
◇
※「読み楽しむ」のでしたら、こうすると安く、お薦めです!
どうぞ、詳細をご覧ください。
いかがでしょうか。今回も読みたいと思います。
その書籍の紹介文はなるほど、読みたくなるのはすごいものです。
これもアフィリエイトのための文章力(ライター?)の参考のために読み続けます。
では、失礼しました。
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